大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

熊野古道をめぐる起源と再生の旅5 ~奈良県吉野郡・玉置神社 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅1 ~三重県熊野市・花の窟神社 訪問記

 

熊野古道をめぐる起源と再生の旅2 ~和歌山県新宮市・神倉神社 訪問記

 

熊野古道をめぐる起源と再生の旅3 ~和歌山県田辺市・熊野本宮大社/大斎原 訪問記

 

熊野古道をめぐる起源と再生の旅4 ~奈良県吉野郡・十津川村/玉置山 訪問記

 

この旅のそのもそもの目的地、熊野三山の奥の宮・玉置神社

 

玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し神武天皇御東征の途上として伝承されています。


創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。


古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。

 

「玉置神社ホームページ」より

 

その存在を知ったのは、1年前に熊野三山をめぐった後だった。

 

本宮のさらに奥地、奥吉野の玉置山の山頂に奥の宮があるらしい、と。

 

折しもその頃に読んでいた夢枕獏さん原作・岡野玲子さん作画の漫画「陰陽師」の作中にも、安倍晴明源博雅が若狭から吉野まで雨乞いの旅をする章の最後で、晴明が玉置について語る場面がある。

 

玉置は修験の霊峰の一つなのだよ

吉野の金峯山(みたけ)から熊野へゆく奥駆けの道の途中にある

なぜ玉置といわれるかは諸説あるが宝珠にかかわる地ゆえの名であろう

なぜならあの地はとても繊細な波動の地でな

おれの持っていた水晶が水飴のように柔らかくなってしまったからさ

魂の緒も振るわれ常には非ざる状態になる

 

そのような聖地だから古くから国常立(くにとこたち)神等を祭る玉置神社があるが

その神域に一本の大樹に四季を凝縮したような神木もある

 

もっと興味深いのは

地中深くに埋まった巨大な磐坐(いわくら)の先端だけがのぞいている玉石という摂社があってな

大己貴(おおむなち)神を祭り大神(おおみわ)神社の神紋と同じ三本の杉の大樹に守られている 

ここは白石という露出した磐坐があり白玉椿の林に囲まれている

このそばに古くから玉置とよばれている郷もある

 

陰陽師」8巻

安倍晴明、天の川に行きて雨を祈ること」四

 

これを読んでますます心惹かれ、どうしてもその玉置神社を参拝したくなった。

 

「玉石という摂社」、そして「四季を凝縮したような神木」を見てみたいと思った。

 

が、その遠さと修験者たちが通ったという山道に躊躇しているうちに、冬が来てしまった。

 

やがて年も明けてしまったが、ようやくこの気持ちのいい季節に思い立ってここを訪れることができた。

 

 

駐車場に車を停めて、その玉置の山々を見渡す。

 

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標高1,000m超。この絶景を見られただけでも、山中のグネグネ道を冷や汗かきながら運転した甲斐があった。 

 

それにしても、奈良の山々はなぜこんなに神聖な雰囲気を感じるのだろう。

 

人知の及ばぬ、異界の地のような感すらある。

 

午前中に眺めた熊野の雄大な山々とは、また異なる様相を見せてくれる。 

 

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駐車場すぐの、本殿に向かう鳥居。

 

それほど大きな鳥居ではないのだが、その雰囲気にただただ圧倒される。

 

この異世界に迷い込んでしまった感。

 

背筋が伸びる。

 

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その名を記す石柱。

 

ようやくここまで来た。

 

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鳥居から本殿へ向かわず、まずはその脇にある細い山道から玉置山の山頂を目指す。

 

大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっています。

 

と玉置神社のホームページに書かれていたため、この玉置神社を訪れた修験者たちに敬意を払って。

 

「奥駈道」という文字に、本当に玉置の聖地に来たという実感が湧く。

 

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最初は、こうして舗装されていて歩きやすい道が続く。

 

周りに誰も歩いておらず、私の歩く足音と木々のざわめき、そして時おり上方から鳥のさえずりが響く。

 

音はあるのだが、静寂の時間。

 

去年の夏に一人で多度山に登ったが、そのときとはまた違った静かな怖さに、背筋に冷たい汗が流れる。

 

やっぱり、一人は怖い。

 

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少し歩くと、道は完全な山道になった。

 

周りの木々や植物が、いろんな表情を見せてくれる。

 

この日は適度に雲が出ていて、歩きやすい気候だった。

 

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シャクナゲの木がアーチ状になっている道を通る。

 

何だろう、この玉置山の雰囲気にシャクナゲというのが、とてもふさわしいような気がした。

 

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あと少しで開花しそうな、シャクナゲの花。

 

茶色と緑のグラデーションの中、この赤い色はよく目立っていた。

 

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20分ほど歩いただろうか。

 

玉置山山頂に到着。

 

その絶景を前に、少しだけ腰を下ろして目を閉じてみる。

 

さて、その後で「玉石社」に向かう途中で、少しトラブルが起きた。

 

道案内の看板に従って歩いて行ったはずなのだが、気づくと道がなくなっていた。

 

一人で不案内な山の中で迷ったかもしれないと気づいたときには、さすがに心臓が早鐘のように鳴り、焦っているのだが、足がすくんだ。

 

そのとき、私の周りを小さな虻のようなたくさんの虫が、顔のまわりで羽音を立てて飛び回ってきた。

 

その虫を振り払おうとしていると、不思議と冷静に戻れたのだが、あの虫たちは何だったのだろう。

 

歩いてきた道を、慎重に慎重に戻り、ようやく見覚えのある風景に戻ってくることができた。

 

もう一度道案内の看板を見ると、今しがた戻ってきた道の方向は「→行き止まり」を表示していた。

 

そんなはずはないのだが…晴明の言うように、私の「魂の緒も振るわれ」てしまったのだろうか…?

 

などと考えているところに、ようやく山中で逆ルートで登ってきた参拝客に出会い、ほっと一息つくことができた。 

 

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それにしてもあの出来事は何だったんだろう、と思いながら、再びしゃくなげの花を眺めながら、山頂からの下る道を行く。

 

一歩進むごとに、段々と空気が重くなり、息をするのが苦しくなってくる。

 

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一礼をして、山中に設置された鳥居をくぐる。

 

また一段と空気が変わる。

 

どの神社とも、どの山とも違う、その雰囲気。

 

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神域を隔てる注連縄が山道に張られている。

 

やはり、この玉置山自体が神域なのだろう。

 

ずっと頬にゆるやかな風が当たっていた。

 

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鳥居をくぐって間もなく、三つの石が並んで祀られている場所に出た。 

 

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磐裂神(イワサクノカミ)、石析根神(イハサクネノカミ)、 軻遇突智神カグツチノカミ)の三神を祀る、「霊石三ツ石神祠」との案内があった。

 

古事記にその由来があると書いてあり、いったいどれだけ昔からこの神域の山々が信仰されてきたのか、その長い年月を想う。

 

その祠のすぐ下に、「玉石社」はあった。

 

地中深くに埋まった巨大な磐坐(いわくら)の先端だけがのぞいている玉石という摂社があってな

大己貴(おおむなち)神を祭り大神(おおみわ)神社の神紋と同じ三本の杉の大樹に守られている 

ここは白石という露出した磐坐があり白玉椿の林に囲まれている

 

陰陽師」の描写の通りだった。

 

その光景に目を奪われて、しばし立ち尽くしていた。

 

あの感覚は何なのだろう。

 

訪れた日から10日間以上経っているのだが、いまだにその雰囲気、神性を描写できそうにない。

 

そして、私にしては珍しく、この「玉石社」は写真を撮るのもためらわれた。 

 

自分の胸の中だけに留めておきたかったのだろうか。

 

しばらくその前で時間を過ごした後、他の参拝客と一緒に下山した。

 

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ようやく人の気配のする境内にやってきた。

 

荘厳な本殿の前に立って、手を合わせる。

 

ようやくここに参ることができました、と。

 

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境内でも、シャクナゲの花がその蕾を膨らませていた。

 

もうあと少し、である。

 

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境内の裏手にある、「夫婦杉」。

 

根本から二手に分かれて生えた、立派な大杉。

 

分かれているように見えても、結局根本は同じとは、まさにパートナーシップ。

 

「夫婦杉」とはよく名付けたものである。

 

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こちらは樹齢三千年(!)を超えるという「神代杉」。

 

その威容と雰囲気にしばらく見とれてしまう。

 

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陰陽師」で安倍晴明が言っていた、

 

その神域に一本の大樹に四季を凝縮したような神木もある

 

とは、この「神代杉」のように思える。

 

「四季を凝縮した」とは、まさに。

 

永らく神域として伐採が禁止されていたため、温暖多雨の気候とも相まって、このような時間の芸術が表出したとされる。

 

遥か千年以上も昔に、安倍晴明もこの杉を眺めていたのだろうか。 

 

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少し離れたところにある、「大杉」。

 

高さ約50m、境内で最も大きな杉だそうだ。

 

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これだけ大きな杉がたくさんあると、大きさの感覚が狂ってくるようにも感じる。

 

それにしても、至る所で絶景が見られる。 

 

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駐車場前の鳥居までの帰り道。

 

いままで訪れた、どの神社とも異なる雰囲気の神社だった。

 

「怖い」という感覚は、どの神社よりも強かったかもしれない。 

 

玉置神社は、全国でも極めて珍しい「悪魔祓い」を行う神社として知られ、社務所では悪魔祓いの御札が販売されており、お祓いを受けることもできると聞く。

 

だが、「悪魔祓い」「悪魔退散」という概念が、日本には似つかわしくないので、私には不思議に感じる。

 

「天使と悪魔」「天国と地獄」という善悪二元論的な世界観は、八百万の神々の与える豊穣の恵みも天変地異も受け入れ、それらを畏れ敬ってきた日本には似つかわしくないように思うのである。

 

この旅で訪れた花の窟神社、神倉神社の御神体と同様に、この玉置山と「玉石」への信仰は、記録に残るよりも遥か以前からあったのだろう。

 

それが、紀元前の崇神天皇の御代に「玉置神社」が建立され、連綿と「悪魔退散」を行ってきたと思うと、どうにも不思議なのである。

 

崇神天皇というと、実在する初代天皇という説がある。

 

本社に祀られる主祭神国常立尊クニトコタチノミコト)は、国土生成の中心的神であり、日本書紀において天地開闢の最初に出現した神様と言われる。

 

その神を祀り、悪魔退散を行う玉置神社。

 

悠久の昔、崇神天皇の御代に何があったのだろう。

 

それと、あの「玉石社」で感じた異世界のような感覚は、何か関係があるのだろうか。

 

そんなことを考えていると、晴れた空なのに遠くから太鼓のような音が鳴って、また怖くなった。

 

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参拝を終えて戻ってくると、駐車場から望む山々の上から、福音のような陽の光が差していた。

 

なんと神々しい景色だろう。

 

今日も、世界は美しい。

 

そんなことを想いながら駐車場を出ると、「玉置山展望台」の看板が登ってきた道と逆方向を指していた。

 

一瞬、行ってみようか迷ったが、あの神々しい陽光を見られて感動していた私は、大人しく来た道へと慎重にハンドルを切った。

 

しばらくすると、フロントガラスをぽつぽつと水滴が濡らし始め、やがて土砂降りになった。

 

参道で聞いた太鼓のような音は、遠くの空の雷雲だったらしい。

 

玉置神社で感じたのとはまた別の意味で怖くなった私は、登りの際にも寄った「猫又の滝」の前のスペースに車を停めて、しばらくフロントガラスを叩く雨を眺めていた。

 

今日、ここに来れてよかったと思った。

 

自分の望みを、叶えさせてあげることができて、よかったと思った。

 

私は、きっとどこにでも行ける。

 

それを止めるのは、私自身でしかないのだろう。

 

まだ、雨足は弱まりそうになかった。

 

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