大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

熊野古道をめぐる起源と再生の旅1 ~三重県熊野市・花の窟神社 訪問記

1年前の3月に、八咫烏に導かれるようにして、熊野を訪れた。

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祈りと瞑想のような熊野古道「中辺路」、そして熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山をめぐる旅だったが、それ以来、熊野に心が惹かれるようになった。

熊野についていろいろと調べていくうちに、訪れたい場所がいくつも出てきた。

ただ、陸の孤島のような場所もあり、運転が苦手な私にとってはハードルが高く、逡巡していたのだが、エアポケットのように空いた5月の連休中の一日を使って、また熊野を訪れることにした。

翌日に大阪で予定があったため、日帰りでは厳しいため、どこかで一泊しないといけない。

世間が10連休に入ってから行くのを決めたので、ネット上では希望する地域で空いている宿泊施設はない。

最悪、銭湯&車中泊かな、と思っていたが、いくつかリストアップした宿に順番に電話をかけて行くと、最後に電話した民宿にキャンセルが出ていたということで、するすると予約が取れてしまった。

行けるときは、きっとこんなものなんだ。

そうと決まれば、根っからのハードワーク好きの私は、「せっかくだから」という言葉とともに、予定を詰め込んでいく。

出発時間は、午前3時半になった。

連休中の渋滞が心配されたが、この時間なら混んでいることも早々あるまい。

日が昇るのが早くなってきたとはいえ、まだ真っ暗闇のなか自宅を出る。

夜明け前に家を出ると、漁師になったような気分になる。

道中で一度、高速の分岐を間違えるという運転苦手の私あるあるが発生したが、予想通り、渋滞にはまったく捕まらずに一気に三重県を南下する。

伊勢自動車道を南に下り、清和多気ジャンクションを尾鷲方面に進むと、紀勢自動車道に入る。

そのあたりで、明らかにそれまでと風景が変わる。

山の、森、木の雰囲気が変わるのだ。

日本の原初風景のような、野生の森とでもいうような、深い緑の風景が広がる。

有料道路は尾鷲北インターで終わりを告げ、下道を少し走って、熊野尾鷲道路に乗り換える。

一人旅のため、風景写真がなかなか取れないのが残念ではある。

出発から3時間半、午前7時に熊野市の七里御浜に着く。

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8月には全国的に有名な熊野花火が行われるこの海岸には、子どもの日を祝って約250匹の鯉のぼりが泳いでいた。

早朝の人けのない海岸で、しばし鯉のぼりを眺めながら休憩する。

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昇ったばかりの朝日とともに。

逆光から見ると、まるで干物を干しているようにも見えて、微笑ましくなる。

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近くにある名勝・獅子岩とともに。

獅子が熊野灘に向かって吼えるような形をした、奇岩。

そのすぐ近くに、今回の旅の最初の目的地、花の窟(はなのいわや)神社にたどり着く。

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折しも二日前に平成から令和への改元があったばかりで、それを祝うのぼりが出ていた。

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この花の窟神社は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵。

「日本書紀」にも記されている、日本最古の神社といわれる。

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早朝の静謐な参道を歩く。

この鳥居をくぐって、参道を歩いていると、誰かにならなくていい時間が流れる。

私がこうした場所を訪れるのは、そうした理由からかもしれない。

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参籠殿という建屋を抜けると、御神体である巨岩が見えてくる。

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その大きさ、エネルギーに圧倒される。

古代から絶えることなく受け継がれてきた、自然信仰に想いを馳せる。

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御神体には7つの自然神を表した7本の縄を束ねた綱がかかっている。

毎年2月と10月の例大祭では、「お綱かけ神事」という神事が行われる。

紀の国や 花の窟に ひく縄の

ながき世絶えぬ 里の神わざ

とは、江戸時代の国学者・本居宣長の歌だそうだが、それから約250年経った今もその神事が続いていることは、まさに「里の神ざわ」なのだろう。

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その神事の際には、両端の一本の綱には「扇」が、真ん中三つの装飾の入った「三流の幡(みながれのはた)」には「花」が括りつけられるそうだ。

「三流の幡」は「三神」を意味していて、伊弉冊尊(イザナミノミコト)の子である

太陽の神 : 天照大神(アマテラスオオミカミ)
月の神 : 月読尊(ツクヨミノミコト)
国の神 : 素戔嗚尊(スサノオノミコト)

を表していると説明書きがあった。

こうしたいろんなものごとの起源を知ることは、非常に興味深い。

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伊弉冊尊(イザナミノミコト)を祀る。

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その横には、軻遇突智尊(カグツチノミコト)も祀られていた。

静かに手を合わせる。

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名残惜しくなり、窟にそっと手を触れてみた。

とても大きくて、それでいて暖かな空気に包み込まれる時間。

伊弉冊尊(イザナミノミコト)は日本神話における母神だそうだが、その暖かさは父性のように力強い守られている暖かさだった。

熊野路は「再生の道」「生まれ変わりの道」と呼ばれるが、やはり今回も自分の起源とルーツを考えさせられる旅路のようだと思った。

三熊野の 御浜によする 夕浪は

花のいはやの これ白木綿

西行法師が詠った七里御浜に寄せる波を横目に見ながら、私は熊野路を先に進むことにした。