大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

熊野古道をめぐる起源と再生の旅4 ~奈良県吉野郡・十津川村/玉置山 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅1 ~三重県熊野市・花の窟神社 訪問記 - 大嵜 直人のブログ

 

熊野古道をめぐる起源と再生の旅2 ~和歌山県新宮市・神倉神社 訪問記 - 大嵜 直人のブログ

 

熊野古道をめぐる起源と再生の旅3 ~和歌山県田辺市・熊野本宮大社/大斎原 訪問記 - 大嵜 直人のブログ

 

熊野本宮大社と大斎原を参拝した後、この日初めての食事を摂ったことで、少し眠気が襲ってくる。

 

午前3時起きなのだから、それも当然と言えば当然なのだが、一人旅のドライブのため無理は禁物だ。

 

本宮と道を隔てたすぐ近くにある熊野本宮観光協会の建屋で、少し腰掛けて休憩をさえせて頂く。

 

そういえば、前回訪れた際にもここで熊野古道の美しい自然を映したプロモーションビデオを見ながら、うつらうつらさせて頂いたことを思い出す。

 

 

少し休んでから、河川敷の駐車場からまた旅を再開する。

 

本宮と大斎原を背に、国道168号線を北上していく。

 

目指すは、吉野郡・玉置山の山頂に鎮座する熊野三山の奥の宮「玉置神社」

 

そもそも、私がこの旅を決めた理由が、この聖地を訪れてみたいという想いからだった。

 

いよいよこの旅の本命に近づいてきたと思うと、ハンドルを握る手にも緊張が走る。

 

 

熊野本宮大社を離れると、国道168号線はそれまでとはまた異なった様相を見せ始める。

 

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並走する熊野川の、色が変わるのだ。

 

それまでの深い青から、絵に描いたようなエメラルドグリーンへと。

 

そして遥か彼方に見える山々からは、神気のような靄が立ちのぼる。

 

地理的には、和歌山県から奈良県の南端に入っていく。

 

北方領土を除けば、日本一広い村として知られる、奈良県吉野郡の十津川村

 

その大きさは、東京23区よりも広い。

 

奥吉野とも呼ばれ、紀伊山地により交通的に隔絶された地域であり、公共交通機関はバスしかなく、隣接の奈良県五條市から十津川村の中心部までは優に3時間はかかるという秘境。

 

これでも格段にアクセスはよくなったそうで、かつて司馬遼太郎は「街道を行く」の中でこの地の地形を「大山塊」と称し、また修験者たちが命を懸けて吉野山から熊野三山まで歩いた大峯奥駈道を擁するこの地は、「人馬不通の地」とも呼ばれたそうだ。

 

またこの十津川村には、先に訪れた神倉神社にも登った神武天皇が、東征の際に八咫烏に導かれて熊野を抜けて、休息のために立ち寄ったとされる。

 

その急勾配の山間に点在する集落が、この恐ろしく広大な村を形成している。

 

まだ十分な道幅があり走りやすいが、それでも時折開ける視界の高さ、雄大さに心臓の鼓動が早くなる。

 

 

少し走って「平谷」という集落で、貴重なガソリンスタンドを見かけたため、道中で減った分を入れる。

 

この広大な村の中で、ガス欠だけは避けないといけない。

 

温泉地でもあり、旅館や民宿の看板をちらほらと見かけて惹かれるが、道中を急ぐことにする。

 

村内唯一の高校・十津川高校を通りすぎ、橋を渡っていよいよ玉置山の登山道に入る。

 

ここから山頂近くの玉置神社の駐車場まで、狭い山道が続く。

 

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休憩して写真を撮れているうちは、まだまだ序の口。

 

どんどん道幅は狭くなり、対向車とすれ違う幅もなくなる。

 

またつづら折の登り道で視界も悪く、点在するオレンジ色のカーブミラーが頼りだ。

 

真昼間ではあるが、対向車からの視認をよくするためにライトを点ける。

 

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人の手のおよばぬ山中に来た、という雰囲気に、怖さを覚える。

 

ハンドルに手の汗が滲む。

 

不意に、私の車を一台のバイクが追い越していったことで、少し気を取り直す。

 

そこから少し走ったところで、駐車できるスペースがあったため、いったん車を停めて休憩することにした。

 

 

そのスペースの前方に、白色の鳥居があった。

 

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通りがかったご縁で、お参りをさせて頂く。

 

Googleマップで調べると、「八大龍王姫松明神」と表示がされていた。

 

なんでも、十津川村にある念法寺というお寺が建立されたそうだ。

 

その奥に、少し大きな滝が祀られていた。

 

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鳥居をくぐって、近くまで行って眺めてみる。

 

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流れ落ちる水の音だけが響く、心地よい空間。

 

後から調べると、「猫又の滝」という名がついた滝らしく、奈良県公式ホームページのむかしばなしにもその名が出てくる。

 

また、雨乞いの際にこの滝に多人数で行って小便をすると、滝の主が怒って雨を降らすという言い伝えがあるそうだ。

 

いずれにせよ、玉置神社へ向かう前の天然の手水舎のようにも思えた。

 

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休憩を終え、玉置山を登る。

 

山道は険しさを増し、運転している私自身が酔いそうなカーブが続く。

 

運転に集中したいので、とても音楽をかける気にもなれない。

 

時折、下山してくる対向車を見て、我に返るということが何度かあった。

 

山道の運転の怖さと、この玉置山の雰囲気の怖さとに、心拍数が上がる。

 

引き返そうにも、Uターンをするスペースすらない。

 

カーブが多く、ナビが表示する目的地までの直線距離は、まったく減らない。

 

それでも、向かう先に目的地があることが分かっていることを有難く思う。

 

修験者たちが、吉野山から大峯奥駈道を通って熊野三山を目指したというが、ナビもないその道のりはどれだけの困難と恐怖に満ちていたのだろう。

 

その道のりの中で、玉置神社へ参拝して神のご加護を祈ったのだろうか。

 

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深淵という言葉がよく似合う山道を抜けると、視界が開けた。

 

玉置山から連なる雄大な山々を望みながら、この十津川村という土地について思いを馳せる。

 

7世紀後半、後世に伝わる「壬申の乱」の際に、十津川村の郷人たちは大海人皇子(のちの天武天皇)の挙兵に応じて、大友皇子を打ち破ったと伝えられる。

 

そのときの功により、その後明治の時代に地租法が改正されるまでの1,200年間、十津川村は年貢を納めることを免除されたそうだ。

 

その後、歴史は下り南北朝の時代になると、南朝の忠臣・楠木正成の孫である楠木正勝が北朝側の武将に敗れた後、この十津川村に逃れ潜伏したという逸話が伝えられる。

 

さらに時代が下り、幕末では十津川村郷士が勤王の志士として京都での守護、そして戊辰戦争に従事した。

 

中井庄五郎という十津川郷士は、かの坂本龍馬から可愛がられ、龍馬から銘刀を贈られたと伝えられている。

 

日本史の節目節目で、その名を浮かび上がらせる十津川村

 

この雄大な山々が、独立自尊郷士を育んだのだろうか。

 

それとも、この辺りの神々のご加護を受けた者たちが、歴史を動かしていたのだろうか。

 

そんな妄想をしていると、運転の緊張も少し和らぐようだった。

 

やがて目的地である玉置山山頂近く、玉置神社の駐車場にたどり着いた。 

 

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