記録を残すことが習慣になると、どんな日常も「シズル感」を感じられるようになります。そこで大切なのは、鮮度を保ったまま残す、ということのようです。
「シズル感」。
人によっては耳慣れない言葉かもしれません。
もとは広告業界で使われており、主に食欲を刺激する活きの良さ、みずみずしさといった、五感を刺激する感覚を示す言の葉です。英語の「sizzle」から派生しているそうで、「揚げ物などがジュージューいう」という意味です。
そこから転じて臨場感を示す語として食品以外の場面でも使われることがありますが、日常の中でこうした「シズル感」を感じて五感が刺激されるのは、豊かな生活だと言えます。
そして「記録を残す」ことを意識すると、より一層日常の中で「シズル感」を感じられるように思います。
「記録を残す」ためには、例えば日記、写真、ブログやSNSなどが有効ですが、いずれの方法も鮮度を保って忘れないうちに残すことが重要です。
人間の記憶ほどあいまいなものはなく、記録があってこそ記憶がよみがえります。記録の無い記憶は、すぐに積み重ねられ上書きされていき、感動は薄れていきます。
だから「記録を残す」ことで大切なのは鮮度、なのでしょう。
・・・と、ここまで申しあげながらアレなのですが、以前私は写真や記録が苦手でした。
何だか写真を撮ることに集中してしまうことに何となく嫌悪感を感じるという、自分でもよくわからないひねくれた感情がありました。だから昔の写真というのが極端に少ないのですね。日記にしてもいつもの「最上志向」のベースメントで、しっかり書こうとして、続かずに挫折したり。
だから私には極端に昔の写真や日記や記録が残っていなかったりする時期は、正直に申し上げて今さらながら寂しい感じがします。ええ、お恥ずかしながら。
何もないよりは、
1行でも言の葉を残した方が、
1枚でも写真を残した方が、
シズル感のある豊かな一日になる。
今はそんな風に思います。
なんちゃってカメラマンでいいですし、それこそユリウス・カエサルのように「来た、見た、勝った」のような3語でもいいと思います。
こんなふうに一枚の写真でも記録が残っていれば、そのときの楽しい会話や味覚がありありと思い出せます。
ぜひ、鮮度のあるうちに記録を残してみてはいかかでしょうか。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。