立春を過ぎたある日、熱田神宮を訪れた。
立春を新しい季節の始まりだとすると、これもまた初詣の一環になるのだろうか。
そんなことを考えながら、駐車場に車を停める。
まだ朝の車のフロントガラスは凍っているものの、風の気配は確かに変わったような気がする。
そして何より、陽が高くなったと思う。
上知我麻神社の鳥居から覗く朝日を眺めながら、春の訪れを想う。
深い木立の境内に、時折見える赤。
山茶花か、椿か。
ときにその紅色に、はっとさせられながら。
本宮の上の空には、大きな雲。
心なしか、参拝する方が以前よりも多かったように思う。
春の訪れとともに、神社にも足が向くのだろうか。
それにしても、陽が高くなった。
少しずつ、少しずつ。
季節は、めぐっていく。
こころの小径にも、足を運んで。
静かに、玉砂利の音と鳥の声に、耳を傾ける時間。
それにしても、神社の参道を歩くのは、いいものだ。
老いも若きも、男も女も。
喜びの中にいる人も、悲しみに沈む人も。
どんな人も、鳥居をくぐれば、等しく頭を垂れて。
それが、心地が良くて。
また私は、鳥居をくぐるのだろう。