大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時間を、居場所にする。

気付けば睦月も終わり、1年ぶりに如月が訪れる。

どこか、吹く北風には寒さの芯のようなものがなく。

明日は、もう節分。
その翌日には、春立てる日、立春である。

時は、いつも滔々と流れていく。

流れていく時間を、居場所にできたら。

こころが痛んで辛いとき、そんなことを思った。

それが痛いことを、感じることすらできず。
ただただ、何もできず、ベッドから起き上がることもできず、暮れていく陽の光の色を眺めていたとき。

流れていく時間は、何もできない自分を責めてくるようだった。

そんなことはなく、ただただ、時は流れ行くだけなのだけれど。

時は、過ぎ行くのみ。待ってはくれない。
そして、気付いたときにはもう過ぎ去っているもの。
こうしている間にも失われていき、二度と取り戻せないもの。

そう考えてしまうと、時は鈍い色をした刃のようになる。
その切り口は、圧し潰したように、痛い。

無機質な灯篭に照らされて、機械仕掛けの歩道が進んでいく。
かたかたと音を立てながら、ゆっくりとした等速度で。

どこか、時間に対してそんなイメージを抱いてしまう。

そして、それは進歩主義的な印象と相まって、進まなければならないという強迫観念を生む。

前に進まなければ。
歩まなければ。
昨日よりも、今日よりも、明日よりも。

進まなければ、歩かなければ。
遅れてしまう。

時の流れに。

けれど、ほんとうのところ。
時間は、直線ではないのかもしれない。

季節が円環を描くように。

いつか見た空の色が、またどこかで見られるように。

時は、弧を描いて、また戻る。

その中空に描かれた弧の内面が、居場所になる。

風はやわらかに、雨はやさしく。
雲はささやき、陽はそこにいる。
時は、流れていく。

そんな小さなものを、ただ眺め、愛でることだ。

歩くのも、進むのも、その後でいい。

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如月ついたちの、明け方。