小学生のころ。
両親が共働きの私は、近所の祖母の家で、姉とともに日中の面倒を見てもらっていた。
自宅から歩いて、10分ほどだっただろうか。
知り合いの米穀店の交差点の、細い路地をもう少し入ったあたり。
近くには市民会館があって、市内の小学生を集めて観劇のイベントが年に1回あったのを覚えている。
祖母の家は、自宅の学区とは違う学区にあった。
2軒隣におじいちゃんの家が書道教室という名の「子ども預かり所」があって、そこに週に1回通っていた。
けれど、ふだん一緒の学校にいない子どもばかりで、人見知りの私は、騒いでは注意される周りの子どもたちをよそに、早く課題を書き上げて帰るのだった。
夏休み、そんな私の遊び相手は、市民会館の横の公園のセミや、トンボや、カマキリや、チョウチョだった。
いつも、一人でタモを振り回していた。
あれは何歳の頃の写真だろう。
幼い私が、その公園でしゃがみこんでタモの中を覗き込んでいる写真を覚えている。
覚えている、というのは、実家を処分した際のドサクサで、その写真や多くの写真が、どこかへ行ってしまったからだ。
何を、捕まえたのだろう。
そして、誰がその写真を撮っていたのだろう。
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アブラゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクボウシ。
モンシロチョウ、アゲハチョウ、アオスジアゲハ。
カマキリ、トノサマバッタ、ダンゴムシ。
シオカラトンボ、オニヤンマ、アキアカネ。
彼らが、いつものメンバーだった。
残念ながら、子どもたちのスター、カブトムシとクワガタはいなかったが、それでも十分に多彩なメンツだった。
昆虫たちは、見ていて飽きなった。
捕まえて、その美しいフォルムを飽きもせず眺めて、名残惜しくリリースする。
その繰り返しだった。
チョウチョの羽根の鱗粉。
鳴いているセミのお腹の力強さ。
カマキリの目線の恐ろしさ。
いろんな世界を、彼らは見せてくれた。
そんな中でも、好きだったのはトンボだった。
不思議な色に輝く、複眼。
透明なのに、陽の光が当たると虹色に光る羽根。
そんなキラキラに、こころを惹かれたものだった。
なぜ、男の子はキラキラに惹かれるのだろう。不思議だ。
理由はなくとも、そのキラキラは、私の童心と寂しさを、大いに満たしてくれた。
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その後、キラキラはトンボからビックリマンシールに移り、ガンダムのカードに移っていった。
キラキラしたカードを集めるため、小遣いを握りしめて駄菓子屋、おもちゃ屋に走ったものだった。
キラキラのカードを見ていると、どこかトンボを見ているような、懐かしい感覚に包まれる。
いや、もっと原始的な、根源的な感覚なのかもしれない。
狩猟時代に深い森の中で、見つけた獲物の眼光か、
それとも、実りの秋に黄金に輝く稲穂か。
いずれにせよ、キラキラには、どこか人を惹きつける何かがある。
大きくなった私は、プロ野球チップスのカードのキラキラを眺めながら、そんなことを想うのだ。
並べると、一層際立つキラキラの美しさ。