大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

あの日、大池公園で食べたハンバーグ弁当の味を、忘れない。

写真の日付は、2020年4月某日だった。
データに撮影した日付も記録されているから、便利になったものだと思う。

100年ぶりの、感染症禍。

「なんとか宣言」とやらが発令され、いままで経験したことのない春だった。

車の窓から覗く空の色は、何も変わらないのに。
不要不急の外出自粛の要請があり、経済活動は緩やかに止まっていった。

私はといえば、カネ回りという要・急の要件での外出を余儀なくされていた。

他の器官がどんなに健康でも、たった一本の血管が詰まっただけで、生命活動が止まることもある。
同じように、どんなに巨額の黒字を計上しようが、資金繰りが止まれば企業活動は止まる。

だからだろうか。
日に日に人の姿が少なくなり、その分重くなってゆく街の空気に、私は辟易としていた。

巣ごもり、マスク、消毒液、ビニールカーテン、そして何より、情報により断絶していく世界。

「まるで、レミングスじゃないか」

ゆっくりと止まっていく経済は、生々しい数字となって実感され、集団自殺をする生態を持つネズミをモチーフにしたテレビゲームを私に想起させた。

ため息ばかりついても、仕方がない。
うまくいかない午前中のことは忘れて、お昼にしよう。

どんなときでも、腹は減るものだ。

あの当時、外に出たときは、私は出来るだけ知り合いのお店に寄るようにしていた。

見る人が見れば、あまり褒められたことではないかもしれないが。

特別に話をするわけでもない。

ただ、一人で伺ってそっと食事をする、あるいはお弁当を買う。

リアルに誰かの顔を見ることで、私自身も何かをつなぎとめていたのかもしれない。

リモート飲み会も、ウェブ会議も、できるのだろうけれど。

ただ、現実に「そこにいる」というのは、強烈に勇気づけられた。

目に見えず、「感染者数」という数字で生殺与奪の権利を持つかのような、ある種の神のごとき感染症。

その存在への、ささやかな抵抗だったのかもしれない。

前日に、SNSで知人のお店が、テイクアウトのお弁当を販売されているのを見た。

なにしろ、3月オープンしたばかりだ。
お祝いに伺おうと思っていた矢先に、こんな事態になっていた。

どれだけの心労があったかと思うと、胸が痛む。

ぼんやりと暖かな、春の日だった。

風景は何も変わらないのに。
外にいることだけで罪悪感を感じてしまうくらい、街の空気は重かった。

いや、重かったのは、私自身の心持ちか。

時間をあわせて、買いに行った。

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久しぶりにオーナーとマダムのお顔を見て、嬉しく。

そして、少し涙腺が緩んだ。

メンチカツと、ハンバーグ。
迷ったが、後者にした。

車を停めた駐車場から歩いてくるまでの間にあった、小さな公園に向かった。

小さな女の子が、滑り台で遊んでいた。

私は、公園の隅のベンチに腰を下ろし、弁当を開いた。

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温かな白米は、粒が立って輝いていた。
肉汁のあふれるハンバーグ。
丁寧につくられたマリネとお漬物。
身体じゅうに染み渡るような、シジミの味噌汁。

美味しかった。

一口一口ごとに、私はうしれしくなった。

食べ終わり、気付けば滑り台で遊んでいた女の子は、いなくなっていた。

もう帰ってしまったのだろうか。

幸せな満腹感に包まれて、私はベンチに身体を預けていた。

人間、不思議なもので、美味しいもので腹が満たされると、ほとんどの問題は解決するものだ。

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見れば、小さな春の花が、こちらを向いていた。

もう少し、頑張ろうかな。

私は腰を上げて、両手を上げて大きく伸びをした。

うららかな、春の日だった。

あの日、大池公園で食べたハンバーグ弁当の味を、忘れない。

それを思い出すと、また頑張れる。