大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

橘始黄、たちばなはじめてきばむ、なれど。

時に小雪も末侯、「橘始黄、たちばなはじめてきばむ」。
「橘」とは柑橘類をまとめた総称と聞き、それらが色づくころ。

ミカンなどの柑橘類を目にし始めるのが、この頃だとされる。
枯れ木や落ち葉などの中にあって、常緑樹に色づく暖色の実は、冬のこころを和ませてくれる。

柚子が大活躍する冬至も、もうすぐやってくる。

七十二侯の名前では、「はじめてきばむ」なれど。
その色づきを見るのは、「はじめて」ではない。

毎年、繰り返される、自然の営み。
当たり前のようでいて、それでいて、当たり前でない、時の流れ。

その黄色や橙色は、いつか見た色であり、どこかで触れた色。

時に、時間が波のように感じられる。

それは、動く歩道のように、一直線でどこかへ流れていくものではなく。

螺旋階段のように、登るものでもなく。

寄せては返し、返しては引いていく、波のように。

もつれてはほぐれ、からまってはほどけ。

昼下がりに、幼子がふうっと吹き出すシャボン玉のように、現れては消えていく。

ぼんやりとしていると、ふっと現れ、そして消えていく、あの「橘」の色。

あれは、いつ見た色だっただろうか。

どこかで、見た色だっただろうか。

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