大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

青々と実るドングリの下で、循環について想うこと。

風が、強かった。

久しぶりに、息子と娘と公園に行く道すがら。

春の嵐とは違って、どこか清浄な空気が頬を伝っていった。

秋分の日を過ぎて、力尽きたノコギリクワガタを埋葬しに行くためだったが、気持ちよく晴れた週末は、久しぶりだったような気もする。

小学校に入ると、こうして私と一緒に公園に行ってくれることも、少なくなってきた。

年齢的にも、そんなものかもしれない。

自分のときはどうだっただろうか、とふと頭をめぐらせてみる。

ボールの壁当て、昆虫採集、どれも一人で遊んでいた記憶ばかりが思い浮かぶ。

寂しかったのだろうかと思えば、そうだったのだろう。

それは、父と母も同じく、そうだったのかもしれない。

埋葬する場所を探していると、木々の枝の先には青々としたドングリが実り始めていた。

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秋の柔らかな日差しに照らされて、そのときを待っている。

夏の終わりを惜しんでいるうちに、ずいぶんと時は流れ。

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特徴的な笠の部分も、はっきりと識別できるくらいになっていた。

季節はめぐる。

椎の木は常緑樹だが、これから冬になると多くの木の葉が落ちていく。

そして、また時が満ちれば新しい芽吹きがやってくる。

風に、木々の葉が揺れてざわめいていた。

この葉の多くが、季節のめぐりとともに落ちて、そして新しい緑が芽吹く。

あたらめて、季節のめぐりと、生命の循環をもたらす力の大きさを想う。

その椎の木の下に、小さな穴を掘り、ノコギリクワガタを埋葬した。

手を合わせて、ともに過ごした夏の日々に祈りを捧げる。

お墓参り、行こうよ。

息子が何を言い出すのかと思ったら、どうやら2年前にこの公園に埋葬したカブトムシのお墓のことらしい。

そういえば、そうだった。

ちょうど今日とは反対側の場所に、埋葬したのだった。

よく覚えているな。

そう言って、息子の後をついていく。

この木だったかな。

そう言って、息子は木を見上げる。

おぼろげな私の記憶でも、たしかにその木だったように思った。

ああ、たぶんそうだと思うよ。

やっぱり。

そう言って、息子と手を合わせた。

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くさが、はえてきてた。あのカブトムシが、ようぶんになったのかな。

祈りのあとで、息子はそう言う。

ああ、きっとそうだと思うよ。

私は、そう返す。

季節はめぐり、生命もまためぐる。

いつかは、私も。そして、息子も。

いつかは。

土に、還る。

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よく、晴れていた。

雲ひとつなく。

久しぶりの公園に、息子と娘とひたすら駆けまわった。

鬼ごっこ、かくれんぼ、缶けり、ドロケイ…

二人の8歳児の底なしの体力と走力に、不惑を過ぎた身体は悲鳴を上げる。

それでも。

それでも、日が傾いて夕暮れの色が辺りを包み始めると、やけに、名残惜しかった。