大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

なんでもない日は、だれかのとくべつな日。

お世話になっているお店が、今日で6周年を迎えた。

その前のお店からすると、16周年。

時が流れるのは早いものだと愕然としながらも、美味しい思い出の詰まった一年一年を想う。

そして、そんな日をお祝いさせて頂けることに喜びを覚える。

気の置けない仲間と過ごしたときも、
寂しさをアルコールで散らすように飲んでいたときも、
たこじゃがの旨さに頬が緩んだときも、
外回りのオアシスとしてお昼をいただいたときも、

いつも美味しい記憶が、ともに在る。

なんでもない日は、だれかのとくべつな日なのかもしれない。

「続ける」ということは、やはり尊いものだ。

一日一日、時は流れていく。

時代も変われば、環境も変わる、お客さんの嗜好も変われば、仕入先だって変わっていく。

生々流転。

流れ流れて、変わりゆくことが万物の摂理であるならば。

「続ける」ということは、その摂理に反した異常なことなのだろう。

移り変わりの激しく、予想がつかない現代は、「VUCAの時代」と呼ばれる。

「とりあえずやってみる」「新しいことにチャレンジする」「複数の専門分野を持つ」などといったことが、推奨される時代。

そんな時代に、「続ける」ことに対して、私は畏敬の念を覚える。

いろんなことを変化させ続けてこそ、「続ける」ことができるのだろうから。

そんな一日、一日の積み重ねが、きょう。

なんでもない日は、だれかのとくべつな日。

わたしのとくべつな日は、だれかのおかげさま。

美味しい記憶は、どれもとくべつな日。

そんなことを想いながら。

また暖簾をくぐるのを楽しみに。

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今日もお味噌汁にハートは浮かんでいるのだろうか。