叩き起こされて、スマートフォンの時間を見ると5時だった。
頭が全く働かない。
目の前にいる娘が、起こした張本人らしい。
こっち来て、と言いながら部屋を出て行く。
天と地もあやふやなくらい寝惚けながら、私はその後をふらふらと追う。
娘は、自分のランドセルを開けて物色しだした。
何かを探しているのか、と思った途端、娘は癇癪を起しだした。
ランドセルの中身を放り投げる娘。
宿題をするための漢字の練習帳が、見つからないらしい。
叩き起こされてから、ここまでものの1分も経っていない。
=
試されている。
直感的に、その言葉が浮かんだ。
寝起きの回らない頭で思考が働かないのが、幸いしたのかもしれない。
徐々に覚醒し始めた頭は、思考を動かし始める。
探しているものを見つけてあげないといけない。どこかに忘れてきたのか?学校か?それとも違う場所か?何時から開いているのか?いや、今日は日曜日だが、誰かいるのか?練習帳が見当たらないのなら、どうするのか?何か別のノートに書いてはだめなのか?
動き始めた途端にぐるぐると回る思考を、私は振り払った。
違う。
本命は、きっとそれじゃない。
目に見えるものは、時に影絵に過ぎない。
それじゃない。
だとしたら。
早く探して!と娘。
念のため探すが、それらしきものは見つからない。
ますます怒る娘。
違う。
きっと、そうじゃないんだ。
=
「忘れ物は、いやだよな」
心ここにあらずの娘が、こちらに聞き耳を立てた気がした。
「おとうも、忘れ物したときは不安になるよ」
ほんとに?
顔がこちらを向いた。
「ああ、そうだよ。でも、忘れちゃうものは、仕方ないよな」
呆けたように、こちらを見ている。
そうだ。
結果が欲しいんじゃない。
過程であり、共感なんだ。
そういえば、難しいお年頃を迎えつつある娘と、最近コミュニケーションを取っていなかったな、と思う。
娘は、それが「ない」ことを分かった上で、探そうとしていたのかもしれない。
もちろん、それは意識的にではなく。
憑き物が落ちたような娘を眺めながら、そんなよしなしごとを考える。
=
人はときに、「痛み」で誰かとつながろうとする。
癇癪を起こしたり、ネガティブな感情をぶつけたり…方法はさまざまだ。
目に見えるその結果は、影絵に過ぎない。
本命は、そこじゃない。
影絵をどうにかしようと思っても、徒労に終わる。
その裏側にある何がしかに目を向けるだけで、救われることもある。
誰が?
もちろん、自分が、だ。
関係性が近い相手ほど、寸分違わぬ自分の姿を映し出すのだから。
そこに映し出されるのは、自分自身の闇であり、痛みだ。
その痛みの中にそっと手を差し伸べて、抱きしめる。
いつかどこかで触れた、懐かしい感触。
それが、本命だ。
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結局、漢字練習帳と同じ大きさに画用紙を切って、それに宿題を書くことになった。
ちゃんとマス目もつくって、と娘。
なかなかに要求が厳しい。
朝5時からカッターナイフと定規を取り出して、せこせこと作業をする。
待ってる間、Youtubeを見る、と娘。
せっせと紙を切る、紙を切る、紙を切る…
罫線を引く、罫線を引く、罫線を引く…
骨の折れる作業。
途中でコンビニでコピーすればよかったと気づいたときには、もう半分以上終わっていた。
作業がようやく完了したと思ったら、施工主はソファでぐがぐがと二度寝をはじめていた。