大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

石の上にも、なんとやら。

はじめは、SNSで日々の日記のようなものを、ぽつりぽつりと書いていました。

コメントをいただいたり、リアクションをいただいたり、そんなことがうれしくて。

「ブログを書いてみてくださいよ」

そのうちに、そう勧めてくださる方がいらっしゃいました。

とても抵抗を覚えたそれを、実行に移すまでに、優に3か月はかかったような気がします。

重い腰を上げて、ようやく2017年8月24日から、ここで言葉を書き連ねてきました。

毎日更新をすること。

それが、自分に課した課題でした。

おかげさまで、それから3年間、休むことなくここに言葉を書き続けることができています。

今日で、3年になります。

石の上にも、なんとやら、でしょうか。

あっという間だったような、とても長い道のりだったような。

どうも、ここのところ、時間の流れの感覚がおかしな感じです。

書き続けていくうちに、ブログというものに対する考え方も、私自身の中で変化していきました。

はじめは、やはりリアクションやアクセス数が気になって、それらを増やしたくて。

そのためには、共感されること、役に立つこと、情報発信と呼べるようなものを書かないといけない、と。

でも、増やしたところで、広告をつけて収益化するか?と言われると、それがしたいわけでもなく。

そのうちに、こんなことを続けて何になるのだろう、という気になり。

何のために?何の意味があるのか?

そんな問いが、湧いては消えていく時期もありました。

いまは、「そんなものは、どうでもいい」と感じます。

ここに書くのは、私が生きることの一種の発露のようなものかもしれません。

共感されるようにも書けなくなりましたし、誰かの役に立つことを書こうとも思わなくなりました。

ただ、日々の空の移ろいを眺め、いつかの風の音を思い出し、訪れた地の美しい雲の形を描写したくなり。

そんな、日記とも呼べないものしか、書けなくなりました。

一周回って、一番最初に書き始めた地点に戻ったのかもしれません。

もちろん、できれば多くの人に読んでもらいたいという気持ちは消えないし、「すごいね!」「いいね!」って他者評価を渇望することは当たり前にあります。

そんな自分の中の5歳児も、認めてあげようと思うくらい、前に進んだと言えるのかもしれません。

そして、たとえ、それが満たされなかったとして。

たとえ、これぽっちも書く才能がなかったとして。

たとえ、どんなに未熟で不出来だったとして。

たとえ、多くの人に読まれることがなかったとして。

そうだったとしても、ここで書き続けてもいいんだと思います。

だって、いま、これを読んでいるあなたがいるのだから。 

f:id:kappou_oosaki:20200824212426j:plain

お祝いをいただきました。ありがとうございます。