やっぱり、いい曲だな、と改めて思う。
映画「グレイテスト・ショーマン」の劇中歌である「Never Enough」のことである。
映画「グレイテスト・ショーマン」といえば、強いメッセージ性を持つ「This Is Me」が大ヒットしたが、この「Never Enough」もまた心に残る名曲であると思う。
これだけ日々新しい音楽が生まれ、リリースされても、それでもなお、何度も聴きたくなる音楽というものがある。
我々に与えられた「時間」という資源は有限であるにもかかわらず、である。
年月が経っても、なお聴きたくなる音楽というのは、それだけ自分の中で洗練された音楽であるといえるのかもしれない。
そう考えると、歳を重ねるということは、いろんなものを取捨選択をして、自分という塑像を浮き上がらせていく行為なのかもしれない。
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さて、「Never Enough」である。
以前、映画「グレイテスト・ショーマン」が上映された際に、その感想として書いたエントリーでも、この曲に触れた。
その際には、この歌はどこか孤独と寂しさを感じたと書いていた。
タイトルである「Never Enough」は、「満ち足りない」「足りない」という意味であるから、その所感も当たり前ではある。
静かな歌い出しから、内に秘められた激情が次第に露わになるがごとく、この「満ち足りない」というコーラスにつながっていく。
Never Enough。
満たされないことを表現することを、寂しさと孤独と取ることもできよう。
満たされない、欲求不満には、どうしても切なさと悲しさが結びつきやすいのかもしれない。
けれど。
果たして、「満たされない」「足りない」ことは、そんなにもネガティブなこと、切ないことなのだろうか。
必ずしも、そうでもないように感じる。
このコーラスの部分を歌う、白き歌姫の、何と幸せな表情か。
そこには、「満たされない」「足りない」ということに対しての否定的な感情というものを、感じさせない何かがある。
それは、以前に聴いたときには、私には見えていなかった面である。
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「Never Enough」
それを歌い上げるコーラスの後に、一つのフレーズが続く。
「For me」と。
ひょっとしたら。
「満たされない」ということは、「満たされないと感じる自分」を肯定することでもあるのではないだろうか。
だとするなら、この歌の中の「Never」とは、どこまでも強く、そして芯を持った「肯定」としての表現たる語なのかもしれない。
ほんとうに欲しいものを「欲しい」ということは、どこまでも怖いものだ。
それが、自分の中のコアな部分に関わるものであればあるほど、人はそれに蓋をして、見なかったことにしてしまう。
なればこそ。
満ち足りない、足りない!私には!
と言うことができることは、何と幸せで、そして逆説的に満ち足りたことか。
それは、誰かが欲しがっているからといった第三者的な欲求や、誰かと比べてという比較や競争、あるいは親を投影した世間体という視点から発せられる「足りない」とは、全く異質なものである。
あの白き歌姫の、コーラスの部分における、光悦として満ち足りた姿そのものである。
「私には」という場所から発せられる「満ち足りない」という言葉の、何と満ち足りたことか。
Never Enough, For "Me"
それは、どこまでも強い自己肯定であり、また自分への賛歌でもある。
優れた芸術は、何度でも、多様な解釈を許してくれる。
改めて、いい曲だと感じる。
これからも、折に触れて聴いていくのだろうな、と思う次第である。