大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

推しは推せるときに推せ。

「まあ、こういうのはやっぱりメンテナンスに労力がかかるんもんですよ。ほら、人間関係も、良好なものを続けようとすると、何かとコストがかかるじゃないですか」

サブスクリプションの課金モデルについての箇所に差し掛かったとき、その営業の担当者は軽く付け加えた。

人間関係を持続するのに、コストがかかるのだろうか。

そうとも言えるけど。

類推話法というのは、コミュニケーションツールとしては偉大だ。

何かに例えることで、相手の理解度というのは大きく変わる。

それだけに、ベクトルが逆を向いたときの効果も大きいのかもしれない。

へえ、と気のない返事をしながら、私はそのサービスの説明を聞いていた。

確かに、良好な人間関係を維持するのには、コストがかかるというのは事実かもしれない。

誰かに連絡を取ることや、会いに行くこと、つながろうとすることに、時間、お金、労力…そうしたものが必要になる。

そんな考え方もできるだろう。

そういえば、以前に「古い人間関係がすべてリセットされる人」と「古い関係を保ったまま進む人」とに分かれる、というような話を知人としていた。

どちらがいいという話でもないが、どうも私は後者のようだ。

ありがたいことに、時を経てもつながっている人がいる。

もちろん、そうでない人もいる。

コストを計算してそうしていたわけでもない。

ただ、折に触れて顔が浮かんだ人には、手紙なり葉書を書く。

会いたい人には、会いに行く。

ただ、それだけなのだろう。

「行けるときに行っておけ」という金言がある。
あるいは同じように、「推しは推せるときに推せ」という金言がある。

その通りだと思う。

訪れたい場所があったとして。
行きたい場所があったとして。
会いたい人がいたとして。
応援したいアイドルなりグループなりがあったとして。

その場所は、いつまでも同じ風景を保っているとは限らない。
そのお店は、いつまでも営業を続けているとは限らない。
そのアイドルは、いつまでも活動を続けているとは限らない。

突然、閉店や解散の悲報に接することなど、いくらでもあるではないか。

そうした場所やアイドルや、お店、人が「ある」だけで、幸せなことなのだと思う。

そこに、コストなりを考えるだけ、野暮なのだろう。

その瞬間、瞬間の積み重ねが、人と人をつないでいるのかもしれない。

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