お盆も終わろうとしているというのに、殊更に暑い日が続く。
今日の名古屋の最高気温は39℃。
その数字を聞くだけで暑くなりそうだ。
さすがに体温よりも高い外気温になると、風情も何もあったものではないように感じる。
私の子供のころ、こんな高い外気温になることは、なかったように思う。
当時、何も考えず毎日一人で近所の公園で虫取りをしていたが、いまのこの気温は危険に感じるほどだ。
年々夏は暑くなっているのだろうか。
それにしても、これだけ暑いと頭も働かなくなるものだ。
=
以前に、風土と思考の関係についての話を、学生時代にある講義で聞いたことがある。
土地の風土が、そこで暮らす人々の思考に大きく影響を与える、というような話だ。
やはり常夏の国においては、陽気な気質が育ちやすいし、反対に一年のうちで太陽を見ることができない時期のある場所、あるいは曇りの気候が多い地方においては、鬱々とした気質の思考や細かい気質が育ちやすい。
その他、さまざまなその土地の風土、ファクターによって、思考や気質というのは規定されている、というような話だった。
無論、どちらがいいか悪いか、というような話ではない。
そう考えてみると、清少納言の昔から、日本の四季が育んできた気質というものは大きいのだろうと感じる。
近年の極端な猛暑によって、その気質や傾向は変わっていくのだろうか。
これだけ暑いと、そんないらぬことを考えてしまう。
=
立秋もとうに過ぎ、処暑も近いというのに。
七十二候では「寒蝉鳴、ひぐらしなく」のころ。
そういえば、私の育った地方では、あまりヒグラシの「カナカナカナ…」という声は聞かなかった。
夏の終わりの蝉の声といえば、ツクツクボウシだった。
今年は、まだツクツクボウシの声を聞いていない。
夕暮れ時に、かの蝉の声が聞こえてきたら、少しは涼しくなるのだろうか。
よくツクツクボウシが鳴いていた、故郷の空。