手塚治虫の「火の鳥」は、「ドラえもん」と並んで幼い頃の私のバイブルだったが、その中でも「鳳凰編」は特に好きで、何度も何度も読み込んだ。
時に奈良時代、過酷な生い立ちから片目片腕を失った主人公の我王は、暴力と略奪の中に生きる。
そんな我王は、旅先で速魚という美しい女と出会い愛を知るが、些細な誤解から速魚を自らの手であやめてしまう。
激しい後悔と罪悪感に苛まれる中で出会った良弁僧正との、一つ一つの会話、我王の心境の変化、そして仏師として再生していく様が、なんとも深い。
良弁僧正が我王に語ったことの一つに、仏教の中の輪廻転生の教えがある。
曰く、いのちというのもは車の車輪のようなもので、あるときは人間、あるときは豚、あるときは虫に生まれ、そして死に、生まれ変わっていく、と。
頬に止まった蚊をピシャリと叩いて殺した我王は、「この蚊も人間に生まれ変わるのか?」と良弁僧正に問う。
僧正は、「そうかもしれぬ」と答える。
その夜、我王は自分が蚊になる悪夢を見て苦しむ。
その世界観に心を奪われ、何度も何度も飽きずに読んでいた「火の鳥」だが、その中でもこの「鳳凰編」は別格だった。
芽生え始めた中二病から、生と死について考えたいお年頃だったのかもしれない。
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あるとき、小学校で飼っていたウサギが、野良猫か何かに襲われたことがあった。
小屋の壁に、穴が開いていたらしい。
周りの多くが、可愛がっていたウサギの死を悼んでいた。
泣いていた女の子も、多かったように覚えている。
私は、泣けずにいた。
泣けない自分は、どこかおかしいのではないか、と責めていたりもした。
悲しくないわけではない。
けれど。
けれども。
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それは、そのウサギに限った話でもないように思う。
もし、「その」死を特別にしてしまうと、いま目の前にある死を、どう扱ったらいいのか、分からなくなる。
いままさに息絶えようとしている、路傍で仰向けになっている蝉。
我王よろしく、ピシャリと頬を叩いて追い払った蚊。
あるいは、生きるために今日も口にする、何がしかの生きもの。
ウサギの死を悼んで、それらの死を悼まない理由は何なのだろう。
私には、よく分からない。
ウサギの事件があった当時、泣けない私は、周りにくらべて自分がどこかおかしいのではないかと思い、自責の念に囚われたりもした。
いまこうして書いていて思うのだが、それは死を悼まずに泣けなかったのではなくて、泣かなかったのかもしれない。
泣いてしまったら、死に対する整合性が取れなくなるから。
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同じような話はウサギに限らず、手を変え品を変え、さまざまな形で私の人生の中で現れた。
悲しくないわけではない。
けれど。
「そこ」で泣くのは、他の死に対してどこか失礼のような。
「そこ」で悲しまないことで、別の死を悼んでいるような。
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そんなことを言いながら、こと肉親の死となると、やはり悲しいもので。
その悲しみと涙を15年以上も溜め込む羽目にもなったが、それでいいのだとも思う。
悲しんでもいいのだろう。
同じように、悲しまなくてもいいのだろう。
そして、感謝を送ることもできる。
生まれてきてくれて、ありがとう。
出逢ってくれて、ありがとう。
40年前の今日を想いながら、父と、母に。
ありがとう。
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いまそこにある生を祝福し、その隣にある死を悼む。
それは、どこか空の青さと雲の白さのグラデーションを眺めることに似ている。
葉月十二日のそら。