大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

呼吸に対するイメージについて。

自分の呼吸に対するイメージングについて。

 

瞑想なり、あるいはストレッチなりをしていると、自分の呼吸に意識が向く。

 

自分の呼吸の長さであったり、深さであったり、あるいは乱れであったり、そうしたものを感じる時間。

 

そこに良いも悪いもなく、ただ

「(今日の自分は、いまのじぶんは)そうだった」

ということを知るだけの時間なのかもしれない。

 

それを、内省と呼んだり、内観と呼んだりするのだろう。

 

それは、日々の「なすべきこと」に追われてしまうと、なかなか持てない認識でもある。

 

呼吸に意識を向けることは、自分をいま、ここ、に戻してくれる。

 

産まれ落ちてから、絶え間なく繰り返してきた、その無意識の所業は、そんなことを教えてくれる。

 

 

さて、その上で、呼吸に対するイメージは「出すもの」と「入れるもの」をどうイメージするか、と同義なのかもしれない。

 

何を吸い、何を取り込み、

何を吐き、何を捨てるのか。

 

その内観や内省の時間に、どういうイメージを持つかというのは、非常に大切なような気がする。

 

よく聞くのは、吸うときに清浄な空気を吸い込み、そして吐くときに身体の中のモヤモヤした汚れを吐き出す、というイメージだ。

 

呼吸をするごとに、身体の中が清らかになっていく、というイメージ。

 

それはとても説得力がある。

 

けれど、最近思うのは、その逆のイメージもまた、呼吸の真実に近いのではないか、ということである。

 

すなわち、外界の汚れや曇った空気を取り込み、そして身体の中を通って清らかな空気に変わり、それを外界に戻す、というイメージ。

 

人の身体というのは、汚れが溜まるものともいえるし、その反対に、汚れたものを浄化する清らかなもの、と見ることもできる。

 

そのどちらのイメージも、確からしく見える。

 

浄と、不浄。

清と、濁。

 

よくよく見れば、どれも世界の一部でしかないのかもしれない。

 

呼吸とは、まさに循環するもの。

 

どちらのイメージも、真実の一つなのだろう。

 

________________________

〇お問い合わせ先

執筆についてのご依頼・お問い合わせはこちらから。

Instagramnaoto_oosaki/Facebok:naoto.oosaki.5

Twitter@naoto_oosaki/LetterPot:users/13409 

________________________

〇大嵜直人の作品一覧はこちら

【大嵜直人の執筆記録】

________________________