大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

それを止めるのではなく、それでもいいと受け容れること。

生きていく中で、何度も繰り返される問題というものがある。

その多くは人間関係に起因するものだが、そうした時に「なぜ、毎回こうした問題が起こるのだろう」と人は考える。

そうすると、問題に共通する自分の「パターン」とでも呼ぶべきものが見えてくる。

その「パターン」というのは、

「いつも言いたいことを我慢してしまう」

「他人を頼れず一人で抱え込んでしまう」

「親しい関係性を築けそうになると逃げてしまう」

「新しいことへ踏み出すのを躊躇してしまう」

とか、人それぞれである。

こうした「パターン」とは、「観念」、「ルール」、「思い込み」、「ビリーフ」などとも呼ばれる。

こうしたものが見えると、人は問題を解決するために、「パターン」を解消しようとする。

「言いたいことを我慢せずに伝えよう」

「誰かを頼るようにしよう」

「逃げそうになる怖さを乗り越えよう」

「一歩新しいことへ踏み出そう」

これがその通りにできればいいのだが、いままで慣れた「パターン」を変えることは、なかなかに難しい。

この構造は、禁煙や禁酒と似ている。

一度習慣づいたものは、なかなか手放しがたく、気付けば再開しているということが往々にしてある。

かくいう私も「禁煙でストレスが溜まったから、タバコを吸って解消しよう」という、よくわからないことをしていたものだ。

そして「あぁ、また失敗してしまった」とガッカリして、自分を責めるところまでが、お決まりのパターンである。

本来、「こうなりたい」という理想があって始めたことのはずなのに、それをすることでせっせと自己否定のネタを仕込んでいるというパラドックス。

そうした負のスパイラルから抜け出すのに必要なのは、「絶対に吸わない」という強い意志ではなく、「吸ってもいい」と受け容れることなのかもしれない。

誘惑に負けてしまう自分の弱さを、受け容れること。

まずは、そこから始まる。

話を「パターン」あるいは「観念」といったものに戻す。 

そうしたものが生まれるのには、理由がある。

「いつも言いたいことを我慢しなくてはならなかった事情」

「他人を頼れず一人で抱え込んでしまう事情」

「親しい関係性を築けそうになると逃げてしまう事情」

「新しいことへ踏み出すのを躊躇してしまう事情」

そうせざるを得なかった理由が、必ずあるのだ。

そこに善悪もなく、ただ「そうせざるを得なかった」というだけのことだ。

そして多くの場合、その理由というのは、過去に経験した心の傷というのが関連している。

「言いたいことを言ったら、相手を怒らせた」

「助けを求めたのに、無視された」

「親しくなった相手に、裏切られた」

「新しいことに挑戦したら、笑われた」

そうした経験の痛みを二度と繰り返さないようにするために、人は「パターン」をつくる。

その痛みが強ければ強いほど、その「パターン」も強くなる。

それだけ痛い思いを、またするかもしれないのに、意志の力だけで「パターン」を変えるというのは、難しいものだ。

だから、それを「止める」のではなく、「それでもいい」と受け容れること。

また同じ「パターン」を繰り返してもいい、と。

その「パターン」を繰り返さなければいけないだけ、痛い思いをしてきた、傷ついてきたのだ。

だとするなら、無理矢理にその「パターン」を変えようとすることよりも、同じ「パターン」を繰り返すこと、そしてそれを許すことの方が、自分を大切にしていると言えるではないか。

繰り返してもいい。

それでいい。

話は、そこからだ。

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季節がめぐれば、花は咲く。

繰り返し、咲く。

その「パターン」に、よいも悪いもなく。