大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

夕暮れを走る、夏至のころ。

ランニングを、ゆるく続けている。

走ること自体は好きなのだが、そこに至るまでの着替えや準備が億劫だということが、ようやく最近分かってきた。

なので、夏は着替えも楽で、私にとっては走ることを続けやすいのかもしれない。

走ること自体は、もやもやしがちな思考が抜けてスッキリしたり、日々移ろいゆく季節を感じられたり、あるいは身体も疲れるのでよく眠れたりと、その恩恵の大きさを実感している。

やはり、少しだけ強い負荷をかけると、その恩恵も大きく感じられるようだ。

けれど、度を越してしまうと怪我をするので、少しずつ、少しずつ、慣れていくことが大切なのだろう。

一日の中で、いつ走るか、というのも大事な要素だと思うようになった。

最近の私は、平日は夜、週末は朝か夕方に走っている。

いろいろと調べていると、習慣化するために朝走ることを勧める意見もあれば、いや、朝は身体が目覚めていないから怪我しやすい、夜に走るべき、という意見もあったり。

はたまた、夜走ると身体が熱を帯びるので睡眠の質が悪くなる、という意見があったり、いろいろな意見がある。

どれも、なるほどと思わされるが、結局のところ、自分に合ったリズムを見つけるのが、一番なのだろう。

ランニングに限らず、自分にフィットするかどうかは、一度やってみないと分からないものだ。

だから、とりあえずやってみるというのは大切だ。

マラソンを走る友人がいる。

その友人曰く、ランニングにおすすめの時間帯は「夕暮れ時」だそうだ。
その理由は、日が暮れていき、世界の色が変わっていくのを眺められることが、心地よいからだ、と。

陸上ガチ勢だったその友人が、試行錯誤の末にたどり着いた結論が、「心地よい風景」ということは、興味深い。

やはり、何にしても「楽しむ」ということは、何にも勝るファクターなのだろうか。

ちょうど、時候は夏至である。
一年で最も日が長い時期。

少し早めに帰宅すれば、まだ日は沈んでいない。
いそいそと着替えて、走りに出る。

夕暮れというと、どうしても寂寥感のある秋の夕暮れの色を思い浮かべるが、この夏至の時期のそれは違った。

それは、どこか燃えるような色をしていた。
地平線に沈みながらも、あたりはまだその熱を帯びているようで。

梅雨時期の雲が、その熱のグラデーションを演出していた。

その暖色のカーテンの下を、ことさらゆっくりと走る。

徐々に、その色が変わっていく。

その友人の言うように、世界の色が変わっていく。
いつしか黄昏時を過ぎ、あたりは夕闇に包まれる。

近所の神社を通るいつものルートを経て戻ってくると、もうどっぷりと暮れて、街灯の光がまぶしかった。

走るのをやめ、息を整えながら、私はゆっくりと歩く。

この時期だからこそ、の恩恵。
変わりゆく世界の色を、堪能できた。

夕暮れを走る、夏至のころ。

また、走ろうと思った。

f:id:kappou_oosaki:20200623110553j:plain