大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

断酒日記 【600日目】 ~誘われなくなった。

さて、断酒も今日でちょうど600日目を迎えた。

 

狙ったわけではなく、たまたま断酒のブログを書こうと思って調べたら、ちょうど切りのいい数字だった。

 

無意識では、気づいていたのだろうか。

 

 

そんなキリのいい日に、以前に仕事の絡みでよく呑んでいた方と、ばったりお会いする機会があった。

 

お互いの近況、あるいは業況へのコロナウィルスの影響などを話していると、妙に懐かしい気分になる。

 

そうこうしていると、

「そういえば、まだ解禁してないんですか?」

という質問を受ける。

 

「ええ、相変わらず、飲んでないですわ」

 

と答えるのだが、妙に罪悪感と気恥ずかしさを覚えるのはなぜだろう。

 

「そうですか、私は相変わらず飲んでますわ。このご時世なので、なかなか外では飲み歩けないですけど」

 

確かにコロナ禍によって、飲み歩くという習慣が途絶えたという人は多いのだろう。

 

そんな会話をして、ではまた、と挨拶をして別れた。

 

 

その方の立ち去る姿を見送りながら、飲んでいたときの別れ文句は「また今度、飲みに行きましょう!」だったな、と思い返しながら、若干の寂しさを覚える。

 

誘われなくなったのだ。

 

振り返ってみると、そういった何気ない酒席の誘いというのが、少なくなったことに気づく。

 

断酒してから1年半以上が過ぎると、そんなものなのだろうか。

 

私自身は、お酒がなくても、誰かと楽しく会話をしながら美味しくご飯を食べることは好きだし、あるいは自分がソフトドリンクで相手だけが飲んでいても、一向に構わない。

 

けれど、どうしても飲む人にとっては、「飲めない=つまらない」という観念があるように感じる上、飲まない人を前にして飲むことに罪悪感を覚えるようだ。

 

すいませんねぇ、私だけ

 

という言葉を、よく聞いたような気がする。

 

 

それでも、私の断酒を知った上で、行きましょうと誘ってくださる方もいることも事実だ。

 

以前に書評を書いた町田康さんの「しらふで生きる 大酒飲みの決断」で、断酒を続けると酒を介していた付き合いがなくなっていき、以前に比べるとあっさりした人付き合いになる、と書かれていたが、その通りだと感じる。

 

お酒を介して私を誘ってくださった方がいて、お酒がなくても私を誘ってくださる方がいる。

 

ただ、それだけなのだろう。

 

よく飲みよく酔っ払って楽しむのもいいし、料理と会話をしらふで楽しむのもいい。

 

私としては、ただ、いま目の前にいる方と、楽しい時間を過ごせればいいのかな、と思う。 

 

無理に飲むこともなく、肩肘張ることもなく。

 

淡々と、目の前のほんの小さな美や、この会話の中の機微、あるいは旬の美味しい味を、楽しむ。

 

それもまた、一つの酒席の楽しみ方だろう。

 

それは、生きる上での楽しみにも言えることなのだろう。

 

それを知ることができたのも、断酒の一つの恩恵といえる。

 

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