大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

紫陽花と天道虫。

梅雨の合間の空の下。

 

紫陽花の上を天道虫が歩く。

 

f:id:kappou_oosaki:20200619091828j:plain

 

とことことこ。

 

とことことこ。

 

六本の足をしきりにもぞもぞと動かし、頭を振ってあっちへ、そしてこっちへと。

 

何かを探しているようにも、喜びに満ちた舞いを披露しているようにも見える。

 

一輪の紫陽花は、そのまま天道虫にとっての宇宙でもあるのだろう。

 

戯れ、遊び、怖れ、迷いながら、天道虫は歩く。

 

 

いったい、天道虫は自分の身体を小さいと思うことがあるのだろうか。

 

あるいは、何かに対して劣っていると感じることがあるのだろうか。

 

もぞもぞ、とことことこ。

 

そんな私の思念とは無関係に、天道虫は歩く。

 

ただ、歩く。

 

彼の宇宙を泳ぐようにして、歩く。

 

 

内面に刻まれた「わたしは誰かよりも劣っている」と感じる人だけが、数と権力を求める。

 

「わたしは誰かより劣っている」という劣等感と、

「わたしは誰かより優れている」という優越感は、

同じ地平線にある。

 

自分は無力であり、競争したくないと主張する人ほど、

誰かに承認され、称賛されたいというエゴを抱える。

 

自らの数と権力を自慢する人ほど、

自らの内で怯える幼子をあやす術を知らぬ。

 

それは同じコインの裏表でしかない。

 

誰の中にもある、その見たくもない汚泥を認めることだ。

 

もっと私を認めろ、称賛しろ、と。

あるいは、

私は傷ついていた、助けてほしい、と。

 

 

自分自身をいかなる形でも卑下してはならないし、あるいは誰に対しても劣っていると感じてはならない。

 

また、それは同時に、

 

どんな数や権力に対しても自らを売り渡してはならないし、あるいはどんな人に対しても優越感に浸ってはならない。

 

言い古され、手垢のついた言葉でしかないが、ひとりとして同じ人間は存在しない。

 

すべての人間は、一つの「個」として存在している。

 

優劣とは比較対象が存在するがゆえに現れる概念であり、「ひとつ」のものを比較して優劣をつけることは原理的にできない。

 

すべての優越感も、劣等感も偽りのものだ。

 

それは、煙のように立ち上っては消えるだけだ。

 

 

すべての人は唯一無二の存在であると同時に、世界もまたそうである。

 

世界とは、一つの紫陽花のことであり、また一匹の天道虫のことであり、またこの宇宙すべてのことでもある。

 

そこに劣等感も優越感も必要ない。

 

 

とことことこ。

 

梅雨の合間の空の下。

 

紫陽花の上を天道虫が歩く。

 

ただ一つの紫陽花の上を、唯一無二の天道虫が歩く。

 

背中の七つの星が、陽の光に照らされて輝く。

 

f:id:kappou_oosaki:20200619072220j:plain

 

________________________

〇ご案内

私が執筆した作品の朗読会が開催されます。

6/21(日)22時~「第三回 新月の夜のオンライン朗読会」

________________________

〇お問い合わせ先

執筆についてのご依頼・お問い合わせはこちらから。

Instagramnaoto_oosaki/Facebok:naoto.oosaki.5

Twitter@naoto_oosaki/LetterPot:users/13409 

________________________

〇大嵜直人の作品一覧はこちら

【大嵜直人の執筆記録】

________________________