大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

夏の花は力強く、されど儚げに。

一雨ごとに、陽射しが熱を帯びるようで。

 

陽の光の色が、日に日に夏の色になっていく。

 

もうすぐ、立夏から小満へ。

 

天地万物に、生命力が満ちるとき。

 

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道すがらの青い色。

 

この時期の青い花といえば、その形が似ているショウブ、アヤメ、カキツバタとあるが、これは文目・アヤメだろうか。

 

冬を乗り越えて春先に咲く花は、暖色系統の優しい色合いが多い。

 

それが夏に向かうにつれて、このアヤメのような力強い色の花が増えてくるように思う。

 

生命力のあふれる夏の、力強さ。

 

そんなものを感じさせる。

 

 

力強さ、というと男性的なものを思い浮かべるが、同時にそれが切なさ、あるいは儚さをともなうのは、なぜだろう。

 

夏のが来ると同時に、それが終わる寂しさを覚える私だからだろうか。

 

それだけでは、ないようにも思う。

 

力強さと、儚さ。

 

それは、男性性の本質的なもののようにも思う。

 

 

罪悪感と、無力感。

 

人が持つ感情の中で、上位人気を常に争う双璧である。

 

某テーマパークのアトラクション、ビッグサンダーマウンテンと、スプラッシュマウンテンのようなものだろうか。

 

一般的には、男性は罪悪感を抱きやすく、女性は無力感を覚えやすいと言われる。

 

パートナーシップで問題が顕在化する場合は、この二つの噛み合わせが原因であることが多い。

 

罪悪感が強く出ると、「こんな自分は許されるはずがない」と自暴自棄になり、モラハラあるいは暴言などの事象が顕在化するし、

無力感が強く出ると「こんな自分の居場所は他にはない」とメンヘラ気質になるか、もしくは下女マインドを形成する。

 

その上で、なのだが。

 

ものごとは「そう見える」ことの反対が、ほんとうの姿であることが多い。

 

男性が根源的に怖れるのは、おそらく「無力感」の方ではないか。

 

「自分は何の役に立っていない」という地点に立つことを、心底怖れているのは、男性の方ではないか。

 

「何の役にも立っていない自分でも、大丈夫」と信じられることが、自分を肯定する最も強力な源泉になるのだが、多くの男性にとって、自分は何の役にも立っていない、ということは耐えられないのだ。

 

それは、もしかしたら、女性以上に。

 

 

それは、これまで男性優位の文化あるいは社会が長く続いたからなのだろうか。

 

逆説的ながら、そうした社会の下で、役に立っていない(と自分が思っている)男性が自己価値を感じることは、非常に困難をともなう。

 

あるいは、生命の基本仕様はXXの遺伝子を持つメスであるからなのだろうか。

 

それは、よくわからない。

 

けれど力強さとともに儚さがともなう男性性というのは、どこか夏に似ている。 

 

 

そんなことを考えながら歩いていると、淡い色合いが目に入った。

 

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まさかの、桜。

 

髭のような、木の幹から生えた緑の枝の先に。

 

もう小満に至ろうとする時候なのに、どこか健気に咲いていた。

 

どうしたことか、今年は季節外れの桜を見かけることが多いようだ。

 

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初夏の陽射しの下で開いていた桜は、どこか優しげに。

 

そこには、力強さも、優しさも、ともにあった。

 

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