大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

5月10日の桜。

日に日に増してきた夏らしさも、一休みのようだった。

夜半から降り出した雨は、優しく地面を濡らしていた。

少し雨が降りやんだところを見計らって、軽く走りに出る。

ここのところ、日中は心地よいというよりも暑いと感じる方が多く、気怠いことがあったが、今日は涼しく心地がいい。

やはり身体が慣れるのには、時間がかかるのだろう。

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川沿いの桜並木も、しっとりと雨に濡れていた。

半袖か長袖か迷って、長袖にしておいたが、やはり走り始めると暑くなってくる。

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ふと、白い点に目が留まる。

ひょっとして。

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桜だった。

5月も中旬になろうとしているのに、雨に濡れてしまっているのに。

健気に、咲いていた。

今月の頭に、別の場所で咲いているのを見かけたが、まさかこんな立夏を過ぎても咲いているとは、思いもよらず。

思いがけず、4つ葉のクローバーを見つけたようで、嬉しくなる。

5月10日の、桜。

こんなに遅くまで咲く桜を、私はこれまで見たことはなかったように思う。

果たしてそれは、ほんとうになかったのか、それとも見つけようとしなかっただけなのか。

もしかしたら、今日のように遅くまで咲いていた桜も、あったのかもしれない。

それも、見ようとしなければ、「無い」ことと同義なのかもしれない。

人は、見たいように世界を見る。

5月10日の、桜。

立夏の雨に濡れた、小さく淡い花弁。

見たいように、世界は見える。