大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

こんなときこそ、手紙を。

ある制限が加えられると、いままでの自由が恋しくなると同時に、その制限を楽しむことが同時に起こる。

 

「手を使わない」という「制限」を楽しむ競技だった、フットボール

 

そこに再度「手を使う」という自由を加えた、ラグビーのように。

 

19世紀前半、フットボールの試合の最中に、衝動に駆られてボールを持って走り出してトライを決めたエリス少年の逸話は、示唆に富んでいる。

 

「制限の中で自由を求めた」彼の走りは、のちに多くの人を熱狂させるスポーツになった。

 

ものごとにはすべて陰と陽があり、陰極まれば陽となり、その逆もまた然り、である。

 

 

外出を控えるという制限は、私たちにいろんな示唆を与えてくれる。

 

インターネットの恩恵によって、自宅に居ながらにして多くの人とつながりを持てること。

 

ビデオ会議、オンライン飲み会、ライブ配信…この疫病という厄災を機に、多くのサービスが普及し、そして当たり前のものになっていく。

 

インターネットが普及したのが思春期以降だった私に比べて、「ネット・ネイティブ」の若い世代が、どんどん世の中に出て行く。

 

どんな面白い未来が、待っているのだろう。

 

スマートフォンとインターネットは、世界を縮め、そして人々を新しい形でつなげる。

 

それは同時に、自分の足で動く、実際に現地を訪れる、生身の人と会う、ということの貴重さを教えてくれる。

 

その眼で見て、その足で踏み、その手で触れる、そのリアリティを感じる…といったことが、これまでとは全く違った意味を帯びていくのだろう。

 

生身の身体の移動や接触には、様々なリスクという陰の部分がともない、だからこそ大きなリターンという陽の部分を浮かび上がらせる。

 

 

手紙、というのは不思議なものだ。

 

それは離れた場所をつなぐ遠距離のコミュニケーションの手段でありながら、書いた人の体温、匂い、気配、リアリティが乗る。

 

そして、それは書き手も同じで、送る相手の表情や仕草、その人の在り様を想像しながら書く。

 

インターネットが登場する前は、当たり前だったそれは、いまとなっては当たり前ではない。

 

5回フリック入力して「こんにちは」という文字を入力して、矢印のアイコンをタップすれば、瞬時にその言葉は相手の元へと飛んで行く。

 

あるいは、ビデオ通話のアプリを使えば、ほとんどのタイムラグなしに、相手の顔を見ながら話をすることが可能だ。

 

手紙といえば、いま書いている文字が相手に届くまでに、下手すれば何日もかかる。

 

けれど、そこには画一されたゴシック体の文字ではなく、その書き手の熱量が、乗る。

 

手紙とは、不思議なものだ。

 

 

前段を長々と述べてしまったが、「Stay home」ないまだからこそ、手紙を書こうと思う。

 

たいせつな人へ、その笑顔を想像しながら。

 

想いを、込めて。

 

手紙を、書こう。

 

こんなときこそ、手紙を。

 

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愛用のレターセット。

 

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