大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

卯月の雨は悲しげなれど、祈りを誘い。

月が変わり、年度が変わった。

 

卯月である。

 

週末からぐずついた空模様は、昼過ぎからまた降り出した。

 

雷乃発声、かみなりすなわちこえをはっす。

 

季節の変わり目は、大気が不安定で雷が鳴ったり、あるいは雪や雹が降ったりもする。

 

卯月、雨、雷。

 

「花散らしの雨」の言葉の通り、咲き始めた桜の花も、少し散ってしまうのだろうか。

 

 

春の訪れの雨は、大地を潤し、植物を育てる恵みの雨でもある。

 

それなのに、どこか悲しげだ。

 

悲しいという感情は、私にとって何かが失われることと結びついている。

 

もう見ることのできない故郷の街の景観、

過ぎ去っていった夏の暑さ、

今生では会うことのできない人たち、

あるいは、もう二度と訪れない、この瞬間。

 

そうしたものは、悲しみと結びつきやすい。

 

そして、悲しみの奥には、その失われたものたちとのつながり、そして、それらへの愛が眠っている。

 

古来において、「愛しさ」とは「かなしさ」と読まれていたように。

 

悲しみと愛は、相似形をしている。

 

けれど、

 

今日のこの春の雨に感じる悲しさは、またそれとも違うような気もした。

 

 

よく晴れた空は、視線を上に向けて、大きく息を吸いたくなる。

 

上を向くと、口角が下がり、自然を笑顔になる。

 

雨が降ると、視線を地に向けて、雨音に耳を澄ませたくなる。

 

下を向くと、目を閉じて、手を合わせたくなる。

 

祈るとき、人は目に見えないもの、大いなるもの、自らの力の及ばないものに、手を合わせる。

 

「愛しさ」が「かなしさ」であるのならば。

 

そうした祈りの対象への「愛しさ」は、「かなしさ」と読めるのかもしれない。

 

卯月の雨は、悲しく。

 

卯月の雨は、どこか祈りを誘っているように思えた。

 

f:id:kappou_oosaki:20200401163034j:plain

 

________________________

〇お問い合わせ先

執筆についてのご依頼・お問い合わせはこちらから。

Instagramnaoto_oosaki/Facebok:naoto.oosaki.5

Twitter@naoto_oosaki/LetterPot:users/13409 

________________________

〇大嵜直人の作品一覧はこちら

【大嵜直人の執筆記録】

________________________