大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

歩くこと、書くこと、生きること。

文章が上手くなる、とは、どういうことだろう。

たとえば、「この横断歩道を歩いて渡ってください」という指示は、理解できる。
理解できるし、「歩く」ことができる人は、その指示を実行することができるだろう。

ところが、「この横断歩道を『上手く』歩いて渡ってください」という指示ならば、どうだろう。

「上手く歩く」とは、なんぞや?と、混乱する。

歩くことができる人もいれば、当然、できない人もいる。

けれど、上手く歩く、とは、どういうことだろう。

歩く姿が、堂々としている人もいる。
猫背で歩く人もいる。
モデルのキャットウォークのように歩く人もいる。
スタスタと小股で歩く人もいれば、
あるいは、大きな歩幅でドスドスと歩く人もいる。

見る人によっては、そこに美醜はあるのかもしれない。

けれど、どの歩く姿も、「その人」の歩く姿である。

その人のこれまでの歩みが、想いが、その姿に出る。

その姿に、「上手い」も「下手」もない。

ただ、その人であるだけ。

その歩く姿に滲み出るものこそが、

個性

と、呼ばれるものなのかもしれない。

歩くことと、書くことは似ている。

それは、生きることとも同義であるようにも思うが、どうだろうか。