大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やって来るもの、過ぎ去っていくもの、いま目の前にあるもの。

近所の川沿いの桜並木を歩く。

先週末に、今年初めて咲いた桜を見たが、もう陽当たりのいい場所では満開に近い。

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前日の夜には少し強めの雨が降っていた。

この日も曇りと雨の予報で、なかなか青空をバックに撮れないのがもどかしい。

それでも、この淡いピンクの色調に、今年も出会えたことを喜ぶ。

「花見」といえば、条件反射的に「桜の花」の下を思い浮かべるように、やはり「花」といえば桜なのだろう。 

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健気に、木の幹から花を咲かせるものたちもいる。

こうしたものも、枝の先に咲くものも、不思議とどの花も、桜は下を向いて咲いていることに気づく。

太陽に向かって上を向くのではなく、どの花も下を向いていることが、不思議だ。

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そう思っていると、上に向いて咲くものを見つけた。 

めずらしく木ではなく、草むらに咲く桜。

桜の木の切り株から、生えてきた枝から咲いているようだ。

花は誇らず。

いつもと変わらず、
春がやって来る。

陽が昇る。
桜が咲く。

桜が散る。
陽が沈む。

いつもと変わらず、
春が過ぎ去っていく。

目の前のものは、移ろいゆく。

けれど、いま、この目の前にあるものは、変わらない。

それは、「いま」という刹那は、永遠あるいは不滅と同義だからだ。

桜を、花を、季節を見つめることは、それを教えてくれる。

どこにも行かなくていい。

ただ、ここでくつろいでいなさい、と。

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昨晩の花散らしの雨に打たれたのか、せっかく咲いたであろう一輪の花が落ちていた。

手に取って、活けてみる。

部屋の中にも、春が訪れたようだ。