空の色が、春らしくなってきた。
どのあたりが春らしいか、と問われると困ってしまうのだが、春の空の色は独特だ。
どこか輪郭がぼんやりとしている。
それは、霧(きり)でもなく、靄(もや)でもなく、やはり霞(かすみ)と呼びたくなる。
霧(きり)や靄(もや)は、正式な気象用語だそうだ。
どちらも空気中の水分や微粒子によって視界が悪くなる現象で、見える範囲が1キロ未満の状態を霧(きり)、それ以上見える状態を靄(もや)と呼ぶ。
一方で、霞(かすみ)には明確な定義はなく、遠くの景色がかすんで見える現象を指し、俳句において春の季語としても親しまれてきた。
霞がかった、春の空。
こんな風に、雲一つない空模様になるのも、意外と春が多い気がする。
まるで、透明度の高い海面を見ているような。
今日は朝から夕方まで、こんな晴天が広がっていた。
抜けるような、青い色。
私の、好きな色。
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さて、七十二侯では今日から「桜始開(さくらはじめてひらく)」に入った。
暖冬のせいか、各地で開花しているようで、SNSを賑わせている。
先日、私も咲いているのを見つけたあの桜の木は、そろそろ三分咲きくらいだろうか。
どうも春先というのは、心身も不安定になりやすい。
気温が不安定なせいもあるのだろうし、あるいは、冬の間に溜め込んだ毒を外に出そうとするのかもしれない。
それでも、こんなふうに桜が咲くころになると、
あの桜は咲いたのかな、いつ咲くのかな、と別の意味で心がふわふわと浮つき出す。
世の中に たえて 桜のなかりせば
春の心は のどけからまし
「古今和歌集」 在原業平
まさに、千年の昔の歌人が歌った情感そのままである。
春。
なんとも悩ましい、桜の季節が訪れる。