大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

罪悪感は、愛ゆえに。

身体が、浮いた。

いけるかと思ったが、甘かったらしい。

ハンドルはコントロールを失い、明後日の方向を向いた。

時間が止まるというのが、まさに正しい表現のように思えた。

したたかに、地面に身体を打ちつけた。

一瞬遅れて、衝撃と痛みがやってくる。

そして痛みは、いつも意識をここに引き戻す。

カラカラと、車輪は空回りしていた。

こういった瞬間に時間が止まったように感じるのは、何か脳内物質が出ているのだろうか。

いつか、脳生理学なり科学の発展は、その物質を突き止めるのだろうか。

べろりと剥けた手の皮を眺めながら、そんなどうでもいいことを考えていた。

事の発端は、息子の友だちが約束通りに現れなかったことだ。

手持ち無沙汰になった息子と娘と、仕方なく近所の公園に遊びに行った。

前日の雨が上がって、よく晴れた日だった。

「おにごっこ」でずっとオニ役をやらされ、しこたま走らされたのだが、それにも飽きがきてしまった。

娘は、ひとりブランコで遊んでいる。

何かしよう、と言う息子に、私は「じてんしゃレース(GⅠ・こうえんいっしゅう)」を提案した。

公園の外周を回るレースコース。

先にスタートした息子の自転車を、私の自転車が追いかける形になった。

無論、本気で走るつもりなど毛頭ない。

遊具のエリアを抜け、トイレの横を走り、グラウンドの脇を通る。

息子の自転車との距離を一定に保ったまま、一周する・・・つもりだった。

カーブに差し掛かったところだった。

濡れた路面に、タイヤが滑った。

あとは、冒頭の通りだった。

何十年かぶりに、自転車で派手に転んだ。

大丈夫ですか、と近くにいた親子連れが声をかけてくださる。

ええ、何とか、と答える。

親切にも、倒れた自転車を起こしてくれた。

摺り剥けた掌が、焼けるようだった。

その痛みも、久しぶりの感覚だった。

自転車にまたがり、スタンドを蹴ってペダルに足を乗せるも、うまく進まない。

どうやら、転んだ衝撃でブレーキがかかったままになってしまったらしい。

自転車店に持ち込まなくては。

それにしても、息子は先にゴールしたのだろうか。

近くに見えた娘を呼び、転んだので家に帰ろうと促す。

自転車を押してしばらく進むと、公園の出口から出て行こうとする息子が見えた。

それは、出て行くというよりも、去り行く、という表現の方が正しいように見えた。

何処へ行くのか。

自転車を置いて駆け寄ると、息子はなぜか怒り、わめき散らしていた。

娘に私と一緒に先に帰ってて、あとからついていくから!と。

とりあえず掌の手当をしたかった私は、ついて来いよ、と言って自転車を押す。

乗れない自転車ほど、厄介なものもない。

辟易しながら、ブレーキのかかったままの自転車を押して帰る。

振り返ると、息子は辛うじて見える距離を保っているようだった。

手当てをしてくる、と息子に呼びかけ、私と娘は家に戻る。

消毒液の匂いと、ひりつくような痛みも、懐かしいものだった。

とりあえず手当ては終わったが、息子はどこへ行ったのか。

ようやく慣れてきた痛みに苛つきながら、私は娘と息子を探しに出る。

まったく、こっちは散々な目に遭っているのに、何がしたいのか。

いま来た道を、息子の名を呼びながら、もう一度戻る。

果たして、息子はいた。

どうせ、ぼくのせいなんでしょう。

目に、大粒の涙を浮かべていた。

あぁ、そうか。

罪悪感の、お手本のようだな、君は。

ちがうよ、おとうがヘマこいただけだよ。
きみは何もわるくない。

そう言って、ちいさな肩を抱いた。

なにもわるくない。
いい?
だれも、なにもわるくないんだ。

ちいさな肩は、まだ、震えていた。

罪悪感の大きさは、愛の深さに比例する。

それを隠すための、怒り。

そして、自分から距離を取ろうとする。

自分は、悪い奴で、毒のような存在だから。

ほんとうにわかりやすい、罪悪感の見本市。

さて、それは誰の罪悪感だろう。

目に映るものは、すべて自己の内面を映し出した鏡だとするなら。

だれも、なにもわるくないんだ。

やはり、それは自分に言い聞かせたいのだろう。

もう何十年前になるのだろう。

幼い私は、大好きだった祖母と自転車で出かけていた。

コンクリートに轍の跡が、何本か付いている場所があって、私はその場所が好きだった。

おそらく、コンクリートが固まる前に、自転車か何かが通って付いてしまったのだろうと思う。

その轍の跡のうち、どれを通るかを選ぶのが、好きだった。

その日も、どの轍の跡を通ろうかと思い、幼い私は自転車を止めた。

前を走っていた私の自転車が、何もない場所で急に止まったことで、祖母はそれを避け切れず、転倒した。

祖母は、手を怪我した。

祖母は怒らなかったし、私を責めなかった。

けれど、なぜか私が怒っていたことを思い出す。

なんでよけられないんだ、と。

しばらくの間、祖母の手に巻かれていた包帯を見るたびに、私は自分に言い聞かせていた。

ふつうは、あんなのよけられるはずなんだ。

そうやって、正当化して、狂おしいほどの自責の念を、何とか抑え込んでいた。

私は、あの日の幼い私に、言いたかったのかもしれない。

だれも、なにもわるくないんだ。

誰も何も悪くないのだとしたら。

ただ、そこに愛があっただけなのだろう。

罪悪感の大きさと、同じくらい深い、愛が。 

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