身体が、浮いた。
いけるかと思ったが、甘かったらしい。
ハンドルはコントロールを失い、明後日の方向を向いた。
時間が止まるというのが、まさに正しい表現のように思えた。
したたかに、地面に身体を打ちつけた。
一瞬遅れて、衝撃と痛みがやってくる。
そして痛みは、いつも意識をここに引き戻す。
カラカラと、車輪は空回りしていた。
こういった瞬間に時間が止まったように感じるのは、何か脳内物質が出ているのだろうか。
いつか、脳生理学なり科学の発展は、その物質を突き止めるのだろうか。
べろりと剥けた手の皮を眺めながら、そんなどうでもいいことを考えていた。
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事の発端は、息子の友だちが約束通りに現れなかったことだ。
手持ち無沙汰になった息子と娘と、仕方なく近所の公園に遊びに行った。
前日の雨が上がって、よく晴れた日だった。
「おにごっこ」でずっとオニ役をやらされ、しこたま走らされたのだが、それにも飽きがきてしまった。
娘は、ひとりブランコで遊んでいる。
何かしよう、と言う息子に、私は「じてんしゃレース(GⅠ・こうえんいっしゅう)」を提案した。
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公園の外周を回るレースコース。
先にスタートした息子の自転車を、私の自転車が追いかける形になった。
無論、本気で走るつもりなど毛頭ない。
遊具のエリアを抜け、トイレの横を走り、グラウンドの脇を通る。
息子の自転車との距離を一定に保ったまま、一周する・・・つもりだった。
カーブに差し掛かったところだった。
濡れた路面に、タイヤが滑った。
あとは、冒頭の通りだった。
何十年かぶりに、自転車で派手に転んだ。
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大丈夫ですか、と近くにいた親子連れが声をかけてくださる。
ええ、何とか、と答える。
親切にも、倒れた自転車を起こしてくれた。
摺り剥けた掌が、焼けるようだった。
その痛みも、久しぶりの感覚だった。
自転車にまたがり、スタンドを蹴ってペダルに足を乗せるも、うまく進まない。
どうやら、転んだ衝撃でブレーキがかかったままになってしまったらしい。
自転車店に持ち込まなくては。
それにしても、息子は先にゴールしたのだろうか。
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近くに見えた娘を呼び、転んだので家に帰ろうと促す。
自転車を押してしばらく進むと、公園の出口から出て行こうとする息子が見えた。
それは、出て行くというよりも、去り行く、という表現の方が正しいように見えた。
何処へ行くのか。
自転車を置いて駆け寄ると、息子はなぜか怒り、わめき散らしていた。
娘に私と一緒に先に帰ってて、あとからついていくから!と。
とりあえず掌の手当をしたかった私は、ついて来いよ、と言って自転車を押す。
乗れない自転車ほど、厄介なものもない。
辟易しながら、ブレーキのかかったままの自転車を押して帰る。
振り返ると、息子は辛うじて見える距離を保っているようだった。
手当てをしてくる、と息子に呼びかけ、私と娘は家に戻る。
消毒液の匂いと、ひりつくような痛みも、懐かしいものだった。
とりあえず手当ては終わったが、息子はどこへ行ったのか。
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ようやく慣れてきた痛みに苛つきながら、私は娘と息子を探しに出る。
まったく、こっちは散々な目に遭っているのに、何がしたいのか。
いま来た道を、息子の名を呼びながら、もう一度戻る。
果たして、息子はいた。
どうせ、ぼくのせいなんでしょう。
目に、大粒の涙を浮かべていた。
あぁ、そうか。
罪悪感の、お手本のようだな、君は。
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ちがうよ、おとうがヘマこいただけだよ。
きみは何もわるくない。
そう言って、ちいさな肩を抱いた。
なにもわるくない。
いい?
だれも、なにもわるくないんだ。
ちいさな肩は、まだ、震えていた。
=
罪悪感の大きさは、愛の深さに比例する。
それを隠すための、怒り。
そして、自分から距離を取ろうとする。
自分は、悪い奴で、毒のような存在だから。
ほんとうにわかりやすい、罪悪感の見本市。
さて、それは誰の罪悪感だろう。
目に映るものは、すべて自己の内面を映し出した鏡だとするなら。
だれも、なにもわるくないんだ。
やはり、それは自分に言い聞かせたいのだろう。
=
もう何十年前になるのだろう。
幼い私は、大好きだった祖母と自転車で出かけていた。
コンクリートに轍の跡が、何本か付いている場所があって、私はその場所が好きだった。
おそらく、コンクリートが固まる前に、自転車か何かが通って付いてしまったのだろうと思う。
その轍の跡のうち、どれを通るかを選ぶのが、好きだった。
その日も、どの轍の跡を通ろうかと思い、幼い私は自転車を止めた。
前を走っていた私の自転車が、何もない場所で急に止まったことで、祖母はそれを避け切れず、転倒した。
祖母は、手を怪我した。
祖母は怒らなかったし、私を責めなかった。
けれど、なぜか私が怒っていたことを思い出す。
なんでよけられないんだ、と。
しばらくの間、祖母の手に巻かれていた包帯を見るたびに、私は自分に言い聞かせていた。
ふつうは、あんなのよけられるはずなんだ。
そうやって、正当化して、狂おしいほどの自責の念を、何とか抑え込んでいた。
私は、あの日の幼い私に、言いたかったのかもしれない。
だれも、なにもわるくないんだ。
=
誰も何も悪くないのだとしたら。
ただ、そこに愛があっただけなのだろう。
罪悪感の大きさと、同じくらい深い、愛が。