大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

最後は和解で終わります ~漫画「勇午 the Negotiator」に寄せて

勇午」という漫画がある。

 

学生時代の友人が読んでいて知った漫画だったのだが、これが面白くてよく読んだ。

 

主人公・別府勇午は成功率97.4%を誇るフリーの「交渉人」であり、彼が世界各国のさまざまなクライアントから受ける交渉依頼を描いている。

 

「交渉人」というと、あの有名な「踊る大捜査線」のスピンオフ映画「交渉人 真下正義」が思い浮かぶが、「勇午」はその10年ほど前から「交渉人」にスポットを当てて連載を開始している。

 

時にクライアントの敵対組織に捕まり、拷問を受けながらも、交渉を成就しようとする勇午の活躍もさることながら、「交渉」のなかで浮き彫りになる、他者との対立、相違からの相克にも惹き込まれる。

 

 

勇午で描かれる「交渉」とは、歴史や宗教、政治や社会システム、あるいは民族や人種といった、さまざまな世界観を持つ人々と、どのようにして対話が可能か、という点のように感じる。

 

そこで描かれる対立は、果たして特異なものだろうか。

 

異なる歴史宗教、異なる民族、異なる母国語、異なる文化…そうした対立だけが、交渉を難しくするのではないだろう。

 

それを、自分の常識からかけ離れた人たちとの対話、として捉えるのならば、困難な「交渉」は私たちの日常に在るように思う。

 

同じ話題について話しながら、話しがまったく噛み合わない空虚な時間を、誰もが経験している。

 

不思議なことに、関係性が近くなるほどに、その対立も深くなるようだ。

 

友達、親、きょうだい、子ども、パートナー…ごく近い関係性のはずが、「交渉」が不発に終わることなど、日常茶飯事ではないか。

 

暴力や権力、金銭といった「力」、犠牲や我慢といった一種の「取引」、あるいは「駆け引き」に逃げることは、簡単だ。

 

 

けれど、そうした「交渉」が、遺恨としこりを残す。

 

どこかで、その「交渉」は裏返しになる。

 

 

勇午は作品の中で、あくまで「対話」で解決を図る。

 

話し合いで解決、といえば聞こえがいいが、生やさしいことではない。

 

敵対する組織に捕まり、痛々しい拷問を勇午が受けるのが、この漫画の恒例になっているように。

 

そこまでいかないにしても、自分と異なる他者との対話はかくも難しく、また覚悟が要る。

 

自らと他者がまったく異なる存在であることを認め、尊重しながらも、その相手を理解することを諦めない、というある種の二律背反を越える、強固な意志が要る。

 

 

下北半島編のクライマックス、勇午はあるクライアントの依頼を受けて、北朝鮮の対日工作を行う重要人物と秘密裏に接触する。

 

公安のマークを外すために、青森から東京まで冷凍車の荷台に隠れて移動する際に、勇午とその人物から、「交渉人になった理由」を訊かれる。

 

勇午は、会話の中でこう答える。

 

人を信じたいからかもしれません

 

 交渉は戦いです

ですが

最後は和解で終わります 

 

この台詞が、私は好きだ。

 

特に、最後の部分。

 

最後は和解で終わります

 

楽天家と言われようが、この台詞が大好きだ。

 

ただそれは、物語の中で様々な対立と相克、そしてそれを暴力で解決しようとする力と、真っ向から向き合う勇午だからこそ、説得力があるのだが。

 

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