大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

頼まれごとは、試されごと。

頼まれごとは、試されごと。

という格言を聞いたことがある。

自分にできることしか、他人は頼みごとをしてこないからだ。

少し無理かな、と自分では思っても、他人はあなたならできる、と思っている。

実はそれが、自分にとって「試されている」ことの場合が往々にしてある。

もちろん、我慢や犠牲や自己価値の低さから、両の手にあり余る荷物があるときは、まずはその抱え込んでしまった荷物を降ろすことからなのだが。

先日、友人から一緒に贈り物をするメッセージカードに添える言葉を考えてほしいという依頼を受けた。

小さなメッセージカードにつき30文字程度で、と。

ふと、頼まれごとは、試されごと。

その言葉がよぎって、二つ返事で引き受けた。

けれど、これが難しい。

いつもここで書いているような長さの文とは、全く違う。

30文字という短さに、何度も何度も言葉を選んでは、ボツにする。

頭から30文字の制限が離れない。

何をしていても、ずっと考えている日が続く。

私は文字数制限があるTwitterでの発信が苦手なのだが、短い文字数で何かを表現するというのは、殊更に難しいように思う。

コピーライターのような職種の方は、そうした能力が優れているのだろうか。

どうやって短い言葉の中で、それを見る人の心を動かすことができるのだろう。

木彫りの彫刻のように、余計なものをそぎ落としていくのだろうか。

実際にやってみて一つ思うのは、想像力が、一つの鍵だということだ。

そのメッセージを、誰が、どういうシチュエーションで、どんな心境で、誰と見るのか。

その上で、どんな言葉が刻まれていたら、心が動くのか。

自分なら、どうだろう。

その人なら、どんな言葉をかけて欲しいだろう。

それを、リアルな感触として想像するのだ。

何回も、何回も。

そうしていくと、要らない言葉が剥がれ落ちていき、必要な言葉が自然と残っていくようだ。

ただが、30文字。

されど、30文字。

たくさんの言葉を並べれば伝わるものでもないし、かといって短い言葉で伝えるということは、至極難しい。

かくも、何かを伝えるということは、難しい。

経験のない「頼まれごと」だったが、おかげでひとつの言葉に、たくさん向き合うことができた。

やはり「試されごと」だったのかもしれない。

「今年と来年は種を蒔く時期ですよ」とある方は仰られた。

「その時期は、どんな風にして歩いたらいいのですか?」と私は尋ねた。

「おかげ、おかげ、と。はい、喜んで、と歩いてみてください」と教えて頂いた。

はい、喜んで、といえば、学生時代に行っていた居酒屋の店員のかけ声を思い出す。

頼まれごとは、試されごと。

おかげ、おかげと思いながら、試されていこう。

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空の色が、少しぼやけてきた。凛とした冬の色は、どこか遠くへ。