大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

マンションがつくりたい。

「マンションがつくりたい」

週末の朝、息子がそう訴えてくる。

ほう、そうきたか。

マンションやアパートの広告の外観や間取りを、最近しげしげと眺めていた息子が、そう言い出すのは自然な流れのように思えた。

どうやって作るのかわからないが、息子は作りたいのだ。

そして、これまでの経験則上、その「つくりたい欲求」は、お茶を濁すことができない。

どうしても、つくりたいのだ。

「マンション、かぁ…どうやって作ればいいんだろうな」

「うーん、わかんない。わかんないけど、つくりたい」

以前の『コーヒーメーカーをつくりたい!』騒動を思い出す。

あのときは、どうやってつくったのだったか。

自動でお湯が流れてきて、コーヒーが抽出できるシステムを、キッチンを使ってつくったような気がする。

分からないときは、Google先生に聞くのだ。

「マンション 作り方」と入れて検索する。

検索結果に表示されたのが、Youtubeの「マンションの建築方法」を解説しているチャンネルだ。

間違いではない…間違いではないのだが…うーん…

混迷を深める私に、息子はちゃんと出入り口と窓がついているマンションじゃないとダメで、電球もつけないとダメ、と言う。

ますますハードルが高い。

粘土細工では無理そうだ。

ならば、とりあえず紙で造るしかないのだろう。

息子と近所のスーパーに段ボールをもらいにいく。

適当な大きさの段ボールを何枚か見繕い、満足げな息子。

「つぎは電球だ!」

電球かぁ…電気・工学的な知識がまったくない文系の私にとって、最も苦手とする分野だ。

とりあえず、100円均一のショップかホームセンターで、豆電球などないだろうか。

近所の100円均一のショップに寄ってみる。

幸いなことに、小さなLEDライトが100円で売っていた。

喜ぶ息子は、「マンションは10個部屋があるから、10個いるんだ」と言う。

「はぁ?こんなもの10個も買うの?」

無駄にしか思えない私は、息子の提案に抵抗する。

譲らない息子。
不機嫌になる私。
冷戦になる。

5個なら。
いや、10個じゃないとダメ。

そんな不毛なやりとりが続く。

6個でお会計をしてしまうという実力行使に出たが、結局は息子の言う通り10個のLEDライトを買うことになった。

険悪な雰囲気の帰り道の車で、息子はぼそっと言う。

「おとうは、ふきげんになると、いつもだまってくる」

あぁ、そうだ。よくわかっている。

冷静に考えてみれば、LEDライトを10個買ったところで、税込み1,100円だ。

何がそんなに不都合があるのだろう。

無駄なものに、お金を遣ってはいけないという私の中の観念が反応しているのだろうか。

つくづく、息子は私の嫌な部分を、正確に炙り出してくれる。

「ああ、おとうも一緒の7歳児なんだよ。ごめんな」

べつにいいけど、と息子は不満顔のまま言う。

段ボールをカッターナイフで切り、ガムテープでくっつける。

切る、切る、切る、貼る、貼る、貼る。

カッターを持つ手が痛くなる。

マンションの施工主である息子殿に、さまざまなお伺いを立てながら。

5階建てじゃないとダメだよ、と厳しい宣告をされながら。

ノッポさんがヘルプに来てくれないかと、何回思ったことか。

そんなこんなで、完成したマンションがこちらである。

f:id:kappou_oosaki:20200206071904j:plain

いろいろとツッコミどころは満載ではある。

といえ、小学生のころの図画工作が人並み以下だった私なりに、頑張ったのだ。

ちなみに若干傾いているが、違法建築ではない。

f:id:kappou_oosaki:20200206072045j:plain

背面には、施工主の希望通り、入り口が。

ワンフロアに2部屋という、ラグジュアリーなマンションだ。

f:id:kappou_oosaki:20200206072036j:plain

一番の頑張ったで賞、窓ガラス。

ガラスを表現するのに、ラップを使い、さらにちゃんと開閉できるように窓枠のレールまで作ったのだ。

そして、各部屋に件のLEDライトと、住人である小さな恐竜のフィギュアを入れて、部屋の電気を消したのが、こちらだ。

f:id:kappou_oosaki:20200206071913j:plain

おぉ…なんと美しき、夜のマンションの灯り。

完璧にマンションだ。誰が何と言おうと、マンションだ。

2つだけ買った暖色灯の光が、とても優しい。

あれだけ抵抗が出た10個のLEDライトが、こんな美しくなるとは。

結局のところ、無駄なものなど、ありはしないのかもしれない。

それにしても、無駄なものにお金を遣ってはいけない、という私の観念は、どこから拾ってきたものだろう。

ふと考えをめぐらせる。

けれど、ご満悦の息子を横目に見ていると、まぁどうでもいいような気もした。