さて、断酒456日目である。
断酒生活自体にこれといって変わりはないが、嬉しい報せを見かけた。
断酒仲間の岩橋隆盛さんが、断酒1周年を迎えたことを、ブログにアップされていた。
岩橋さんとは私と同じ時期に断酒をスタートし、その姿に刺激を受けながら、互いに励まし励まされながら、今日まで来ている。
お酒と僕の関係について② | ライフワークカウンセラー 岩橋隆盛のブログ
そんな岩橋さんが、断酒1周年を迎えられたことを、心からお祝いしたい。
岩橋さん、おめでとうございます。
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さて、上のブログの中で、岩橋さんが「断酒のデメリット」を挙げている。
お酒を飲まなくなって生じたデメリット
①お酒を飲んで気分を解放することが出来なくなった
②お酒を飲みに行って深い話をすることがなくなった
③仲良くなるのに時間を掛ける必要が出てきた
④お酒を飲んでストッパーを外して閃くという事が無くなってしまった
以前に断酒の功罪についてのエントリーを書いたが、断酒をすることで健康やお金や二日酔いのない朝などを得られるメリットの裏側には、必ずデメリット(=お酒を飲んでいたことで得られていたメリット)が存在する。
それは、光と影のように必ず対になって存在するものだ。
私がお酒から得られていたメリット・恩恵とは、「陶酔感」であり、それがもたらす「つながっている感」だった。
酩酊しているときは、自分の意識がどこか広がっているようで、それはみんなつながっているという感覚をもたらしてくれた。
こう書くと、巷で騒がれているドラッグと変わらないような気もするが、似たようなものなのかもしれない。
実際、一部のドラッグよりも依存度の高いとされるアルコールが、法で規制されていないのは、合理性がない。
その境界線とは、歴史的・政治的に形成された恣意的なものなのだろう。
話が逸れてしまったが、お酒がもたらしてくれた恩恵を得られないというデメリットは、断酒者にとっては甘んじて受けないといけないものなのだろうか、というのが、最近の私の関心だった。
両雄並び立たず、というのだろうか、それは「ドラクエ5のビアンカかフローラ」のように、人生の選択を強いるものなのだろうか?、と。
どっちを選んでも、「あちらを選んでいたら…」という想いは残るように。
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岩橋さんはブログの中で、その裏(=デメリット)の部分を、さらに裏返すことを考えておられた。
【お酒を辞めたデメリット、どう穴埋めしてる??】
①お酒を飲んで気分を解放することが出来なくなった
→泳ぐ、サウナに入って汗を流す②お酒を飲まなくなって深い話をすることが無くなった
→本当に必要な事は勇気を出せば話せることが分かった
③仲良くなるのに時間を掛ける必要が出てきた
→自分の好きな場(焚火とか温泉とか)に巻き込めば、結構すぐに仲良くなれる。体験を共有すればよい、という事が分かった
④お酒を飲んでストッパーを外し、閃くという事が無くなった
→運動して、サウナに入り、ぼーっとしてると、いい感じで左脳が黙るので、いいことを閃くという事が分かった
なるほど、である。
太いオレンジの部分を見ていると、それはデメリットの穴埋めではなく、メリット・恩恵としか見れないようだ。
運動する、汗をかくようになる、勇気を出すようになる、体験を共有するようになる、お酒以外で緩むことを覚える…どれも、素晴らしい世界だ。
こう考えると、デメリットは単なるデメリットではなくなり、それは違った形のメリット・恩恵をもたらしてくれる。
裏の裏は、表なのだ。
制限されることが新しい世界を開くことは、往々にしてある。
たとえば江戸時代の日本は、鎖国という制限を設けたことで、浮世絵をはじめとした世界でも類を見ない文化が華開いたと言える。
制限とは、見方を変えれば新しい世界への翼なのかもしれない。
私の断酒によるデメリット(陶酔感、つながり感を失う)も、どうやったらメリットに転換できるか、のんびりと考えていこうと思う。