梅の花が咲いているのを見かけた週末。
またしても約束をすっぽかされて、暇を持て余す息子とともに、近くの公園を訪れる。
さすがに小学生ともなると、親と公園で遊ぶのも時間を持て余すようで、早々に退散することに。
退屈そうな息子を見かね、私は久しぶりに「コッコ」にエサをあげに行こうか、と提案すると、二つ返事で頷いた。
コッコ。
このご時世にしてはめずらしい、スパルタで知れた近所の幼稚園が飼っているニワトリだ。
近所の公園までの道を少し寄り道したところにある、その幼稚園。
園庭の隅の鶏舎で飼われているニワトリは、野菜の切りくずや貝殻などをあげることができた。
息子が幼いころ、ベビーカーを押して、よく通ったものだった。
持っていくエサをと思い、コンビニでパンを一斤買って、幼稚園へと向かう。
こっこっこっこっこ。
果たしてコッコは群がって息子に寄ってきて、あっという間にパンを一斤食べつくしてしまった。
ちょうど掃除をしていた用務員の方が、ありがとうね、と言って小さな白いものを二つ差し出す。
卵だ。
消毒していないから、ちゃんと手を洗ってね。
そうか、市販の卵と違い、そのままだからサルモネラの危険があるのか。
うやうやしく受け取った私は、その卵を食パンの入っていたビニール袋に入れて、満足げな息子とともにそっと持ち帰る。
ずいぶんと、陽が長くなったと思う、帰り道。
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そんな週明け、友人となぜか飼っていたいきものの話しになった。
どういう話の流れは忘れてしまったが。
友人は雄鶏を飼っていたそうで、男らしい名前を付けていたそうだ。
言われて思い出したのだが、私の実家もインコを飼っていた。
黄色と黄緑の綺麗な色をした、インコだった。
それなのに、なぜだかわからないが「ホワイト」と名付けられ、私は彼女を「ホワちゃん」と呼んでいた。
おとなしい、メスのインコだった。
ずいぶんと長生きしたような気もするが、私が小学生の高学年になった頃に、死んでしまった。
小学校から帰ってきたときには、息絶えていたように思う。
当時、共働きだった両親の代わりに、私の面倒を見てくれていた祖母とともに、その亡骸を見つめていたような記憶がある。
私が死というものを知ったのは、いつからだろう。
父方の祖母が亡くなったとき、私は幼すぎて、まだその意味を理解していなかったように思う。
ただ、あわただしい葬儀と、いつもと違う家族の雰囲気は、何となく覚えている。
やはり、身近な友達だった昆虫たちが、死を教えてくれたのだろうか。
祈りとともに、実家の庭先に彼女の亡骸を葬ったあと、猫や何かにその墓標を荒らされないか、幼い私はいつも心配していた。
その実家も、いまはもうない。
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大寒なのに、雨上がりの朝は、どこか暖かかった。
立春もまだなのに、もう雨水という言葉が似合いそうな空気の湿り具合だった。
まだ雨雲は完全には去っていなかったが、それでも、遠くの西の空は青かった。
その空の青さと、地の緑と。
そのコントラストは、私に「ホワちゃん」の美しい色を想起させた。
あの透き通ったような青色と、そのつながりのような緑色。
その身体を、思い出していた。
いったい、私はいつ死というものを知るのだろう。
ぼんやりと、私は冷蔵庫に入れたままの卵のことを思い出した。