大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

東風吹かば。

朝のランニングの途中で、風景の中の白い点に目が留まる。

f:id:kappou_oosaki:20200126212215j:plain

梅の花だ。

もういくつかの白い花が、その花びらを広げていた。

木々の先端が少しずつ膨らみ始めるころ、寒い中に先駆けて咲く、梅。

歳を重ねるごとに、その美しさと趣に惹かれるようになってきた。

f:id:kappou_oosaki:20200126212202j:plain

白く凛とした五つの花弁と、黄色い花粉が特徴的だ。

この日は小雨のぱらつく空模様だったが、この梅の花には青空もいいけれど、こうした曇り空もよく似合う。

薄いピンク色をした桜の花には、青い空がよく似合うのとは対照的だ。

時候は大寒。
そして七十二侯では「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」、沢の水が氷となり厚く張りつめるころ。

一年で最も気温の低い時期ではあるが、その時期に花を咲かせる梅の花は、どれほど多くの春を待つ人の心を慰めてきたのだろう。

梅の花が咲き、春立てる日が訪れ、寒の戻りがあり、また雪が降ることもあろう。

雪に白梅。
古来より日本人が好んできた構図だ。

それでも、季節はめぐり、春はゆっくりとやってくる。

f:id:kappou_oosaki:20200126212339j:plain

それにしても、風格のある枝ぶりに、この白い花の存在感。

古来よりたくさんの歌に詠まれ、多くの歌人に愛でられてきた、梅の花。

梅の花といえば、菅原道真公のあまりにも有名な歌を思い出す。

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ  

時の権力に寵愛され、のちに政争に敗れて諫言により左遷の憂き目に遭う。

人の世の荒波に翻弄された道真公が、日ごろ愛でていた梅の花に託した想い。

細部を見つめることは、癒しをもたらすと言う。

生きることが苛烈に感じるとき、ほんの小さな花を見つめるなど、細部を見つめることは救いであり、癒しをもらたす。

それは、過去と未来に千切られそうになる意識を、いまここに引き留めてくれるからだ。

千年の昔から、梅の花はそれを観る人を癒してきた。

それは、これから先も変わらないのだろう。

f:id:kappou_oosaki:20200126212225j:plain

いつものランニングコースで、近所の神社へと。

朝の境内はいつも心地がいい。

f:id:kappou_oosaki:20200126212329j:plain

天神社とやらの前に、道真公の文字を見つける。

美しや 紅の色なる 梅の花
あこが顔にも つけたくぞある

道真公、御年5歳のときの御歌だそうだ。

この美しき梅の花が、いつか自分を慰めることを知っていたかのような。

それは後から歴史を見る者の、穿った見方だろう。

5歳の道真公も、ただそこに在る美に、感動していただけなのだろう。

そう思い直し、私は一礼して境内を出た。