朝のランニングの途中で、風景の中の白い点に目が留まる。
梅の花だ。
もういくつかの白い花が、その花びらを広げていた。
木々の先端が少しずつ膨らみ始めるころ、寒い中に先駆けて咲く、梅。
歳を重ねるごとに、その美しさと趣に惹かれるようになってきた。
白く凛とした五つの花弁と、黄色い花粉が特徴的だ。
この日は小雨のぱらつく空模様だったが、この梅の花には青空もいいけれど、こうした曇り空もよく似合う。
薄いピンク色をした桜の花には、青い空がよく似合うのとは対照的だ。
時候は大寒。
そして七十二侯では「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」、沢の水が氷となり厚く張りつめるころ。
一年で最も気温の低い時期ではあるが、その時期に花を咲かせる梅の花は、どれほど多くの春を待つ人の心を慰めてきたのだろう。
梅の花が咲き、春立てる日が訪れ、寒の戻りがあり、また雪が降ることもあろう。
雪に白梅。
古来より日本人が好んできた構図だ。
それでも、季節はめぐり、春はゆっくりとやってくる。
それにしても、風格のある枝ぶりに、この白い花の存在感。
古来よりたくさんの歌に詠まれ、多くの歌人に愛でられてきた、梅の花。
梅の花といえば、菅原道真公のあまりにも有名な歌を思い出す。
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
時の権力に寵愛され、のちに政争に敗れて諫言により左遷の憂き目に遭う。
人の世の荒波に翻弄された道真公が、日ごろ愛でていた梅の花に託した想い。
細部を見つめることは、癒しをもたらすと言う。
生きることが苛烈に感じるとき、ほんの小さな花を見つめるなど、細部を見つめることは救いであり、癒しをもらたす。
それは、過去と未来に千切られそうになる意識を、いまここに引き留めてくれるからだ。
千年の昔から、梅の花はそれを観る人を癒してきた。
それは、これから先も変わらないのだろう。
いつものランニングコースで、近所の神社へと。
朝の境内はいつも心地がいい。
天神社とやらの前に、道真公の文字を見つける。
美しや 紅の色なる 梅の花
あこが顔にも つけたくぞある
道真公、御年5歳のときの御歌だそうだ。
この美しき梅の花が、いつか自分を慰めることを知っていたかのような。
それは後から歴史を見る者の、穿った見方だろう。
5歳の道真公も、ただそこに在る美に、感動していただけなのだろう。
そう思い直し、私は一礼して境内を出た。