大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自信って、そんなにも必要かな。

自信があるから行動できるのか、行動するから自信がつくのか。

「ニワトリが先か、卵が先か」の問いのように、答えのない話なのかもしれない。

あるいは、日が沈むから夜になるのか、月が昇るから夜が訪れるのか。

そのどちらもが真実で、ただ、それだけのことなのだろう。

そして、自信があっても、なくてもいい。

行動できても、行動できなくてもいい。

そう考えると、必ずしも自分に自信を持たなくてもいいようにも思う。

年末年始から、また少し走ることを再開している。

とはいえ、以前のように疲労骨折をするまで走るようなストイックさもなく、途中でウォーキングに変えたり、雨が降ったらやめたり。

この季節、着替えて外に出るだけでも一苦労なのだが、それでも何とか外に出て、寒さで縮こまった身体を伸ばして、一歩目を踏み出す。

一歩、また一歩と、踵から足の裏が地面に着いて、そして足の指先で地面を蹴る感覚。

少し走っていると、身体がほぐれて温まってくるのが分かる。

そして走り終えたときの達成感と、心地よい疲労。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の言葉の通り、やはり身体を動かしていると精神的に落ち着くようだ。

それは分かっているのだが、どうも昨年の後半は身体を動かすことをサボってしまっていた。

なぜだか分からないが、動けないときは動けないものだ。

そして、動けないときは、その動けない自分を責めないことだ。 

何かをしたいと思っても行動に移せないとき、それは自分に自信がない場合が多い。

自分に自信がない、と分かっているならまだしも、自分に自信がないことすら自覚していないこともある。

世界に対する不信感、どうせ自分はという被害者意識、根深い劣等感、なんだかよく分からない虚無感、あるいは不安や怖れ。

そうした得体の知れない闇が、自分の中に巣くっていることを直視するだけでも、なかなかに大変だ。

私の中にも、どこか諦めたような悪い意味での諦念や、なにをしても空しいという虚無感、そして無力感や劣等感が、ある。

そうしたものに気づいたときに、なぜだろう?と考える。

両親との突然の別れだったり、あるいは幼い頃の寂しかった経験とか、いろんな理由や原因を探すことはできるかもしれない。

それを探す中で、自分という大海に潜ることはとても貴重な体験だ。

ただ、その理由が分かったとして。

それをどうこうしようとしなくても、いいんじゃないか。

最近は、そんな風に感じる。

自信があるから行動できるのではなくて、

行動していくうちに自信がつくのだ。

そういった言葉も、よく聞く。

それもまた、真実なのだろう。

けれど、行動によって積み重ねられた実績や経験を、絶対視するのもまた、ハムスターの回し車に乗る危険性があるように思う。

行動をして実績が出ても、もっと大きな実績を持っている人と比較しだしたら、砂上の楼閣よろしく、自信など砂のように崩れていくのだろう。

だからといって、実際に行動してみることの尊さ、素晴らしさを否定するわけでは、全くない。

自信がないから、何もしたくない。

そう自分が思っていることを、否定して責めてしまうことの方が、よっぽど危険だ。

この毒は、真綿で首を絞めるように、徐々に徐々に全身に毒が回る。

私は、自信が、ない。

だから、何もしたくない。

それは分かった。

じゃあ、どうしようか。

立ち止まって、深呼吸する、

という「行動」をする、

でいいんじゃないかな。 

くまのプーさんの原作の絵本の最終話で、クリストファー・ロビンが100エーカーの森を去るときに、プーさんに語りかける。

「ぼくが一番したいことは、何もしないことだ」

一番したいことは、何もしないこと。

それを素直に認められるロビンは、素晴らしい。

逆説的なのだが、ロビンとプーさんは、いつも「何も」していないわけではない。

想像上の動物を追いかけ回したり、川に投げた枝の流れる速さを競ったり、イーヨーの尻尾を修理したり、ラビットの家へ朝ご飯をごちそうになりに行ったり。

ただ、今日その時を、楽しんでいるだけだ。

記憶の中に生きるでもなく、予定に生きるでもなく。

ただ、自分の心に耳を澄ませ、したいことをしているだけだ。

プーさんは、その会話の中で、最後にこう言う。

「ああ、分かった。ただ出かけていって、聞こえないものに耳を傾けて、煩わせないということだね」

ロビンはこう答える。

「ああ、プー」

とても感動的な、プーさんの中で私が大好きな場面である。 

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自信も動力も何もなくても、風を受ければ凧は揚がる。