大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

書評:ユヴァル・ノア・ハラリ氏著「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」に寄せて

ずいぶん前に買って「積ん読」状態だった「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」(ユヴァル・ノア・ハラリ氏著、河出書房新社)を読了したので、その書評を。

1.歴史を学ぶことの意義

イスラエル人の歴史学者である著者による、世界的に大ヒットした本書は、そのタイトルの通り歴史書である。

歴史書というと堅苦しく聞こえるが、本書は著者の比喩やユーモアにあふれた表現と、その流麗な日本語訳により、歴史というよりは、一つの物語を聞くようにするすると読める。

そして、その著述の範囲は歴史学にとどまらず、社会学、科学技術、哲学、経済学、はては遺伝子工学といった幅広い分野に及ぶ。

その中で、歴史を学ぶことの意義を、著者は本書の中でこう述べている。

それでは私たちはなぜ歴史を研究するのか?物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうる、と気づくことができる。

「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福(下)」
ユヴァル・ノア・ハラリ氏著 河出書房新社
p.48

以前、私がお世話になった方に、「人生の道を歩く中で困ったときは、自分のルーツを調べるといいかもしれないよ」という言葉を頂いたことがある。

「わたし」という個人は、歴史という縦軸と、社会という横軸に否応なく規定されている。

歴史を学ぶ意義の一つは、それを知ることで視野を拡げ、自分という存在を客観的に見つめることができるようになることなのだと思う。

そんな歴史について、現生人類の出現からという壮大なスケールで語られるのが、本書である。

2.重要な三つの革命

いまから20万年前の東アフリカに出現した我々の祖先たるホモ・サピエンスが、なぜその他の人類種をさしおいて、いまこうして隆盛を極めているのか。

著者によれば、重要な三つの革命が、その歴史の中で起こったからだという。

その革命とは、「認知革命」、「農業革命」、そして「科学革命」である。

・認知革命

およそ7万年ほど前に起こったとされる「認知革命」は、言語により集団で行動することを可能にした。

何よりも架空の事柄=虚構について語る能力は、異なる個体が同じ神話を信じることを可能にし、大勢で協力することができるようになった。

それにより、他の大型動物を協力して狩猟したり、あるいはネアンデルタール人といった他の人類種よりも発展することができた、と。

神話とは、文字通りの意味だけではない。

会社、国家、法律、宗教、貨幣、自由、資本主義…こうしたものは、すべて実体のない神話=想像上の秩序であるが、それを全員が信じることにより成立している。

なかでも、現在の最強の神話である「貨幣」についての記述が、また面白い。

貨幣は相互信頼の制度であり、しかも、ただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。

同上(上巻) p.224

同様に、誰かがタカラガイの貝殻やドル、あるいは電子データを信頼していれば、たとえ私たちがその人を憎んでいようと、軽蔑していようと、馬鹿にしていようと、それらに対する私たちの信頼も強まる。宗教的信仰に関して同意できないキリスト教徒とイスラム教徒も、貨幣に対する信頼に関しては同意できる。なぜなら、宗教は特定のものを信じるように求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求めるからだ。

同上(上巻) p.230

貨幣の価値とは、先天的に存在するものではなく、皆がそれを信じるから存在する。

貨幣とは徹底的に共同主観的な存在であり、それは言語と似た構造をしている(「いぬ」という語が犬という意味を持つのではなく、皆が犬を指すと思うから意味を持つ)。

そして貨幣に限らず、自由や平等、そして資本主義といった、現代では自明の価値があるように思われている概念も、実は虚構に過ぎないと本書は述べる。

けれど、その「虚構」を皆が信じてきたからこそ、サピエンスは文明をここまで発展させることができたのだ、と。

・農業革命

そして、1万2千年ほど前に起こったとされる「農業革命」。

私もこれまで農業革命があったからこそ、安定的に食糧を得ることができ、豊かになったと思っていたが、著者はそれとは異なる視点を提示する。

すなわち、農耕はサピエンスの絶対数を爆発的に増やしこそすれ、個々の人類の幸福は増幅しなかった、という視点である。

サピエンスという種の繁栄には貢献すれど、蓄えられた富はヒエラルキーを生み、個々の人類の生活は、狩猟採集生活をしていたときよりも貧しくなったのではないか、という問いである。

さらには、サピエンスが小麦や米といった特定の種類の穀物を栽培し、主食にしてきたはずだが、実は穀物がサピエンスを奴隷にして使役してきたと見ることもできるのではないか?

なるほど、と唸らされる著者の説である。

このあたりの視点に触れるだけでも、本書を読む価値があるように思う。

・科学革命

そして、社会の変化に決定的なインパクトを与えた「科学革命」について。

宗教に代わって、世界を説明する役目を担うことになった科学は、「自らの無知を自覚した」ことが大きな要因であったという。

世界を数式で表したり、様々なテクノロジーが発達し、エネルギーを動力に変えることで産業革命が起こったとされる。

しかし、それは同時に人間を自然から切り離し、家族や地域といったコミュニティを解体することをももたらしていった。

そして21世紀の現在において盛んに研究がなされている、再生医療についての著者の言が興味深い。

医療の発展により、人間が不死(寿命では死なない身体、あるいは永遠の若さ)を手に入れることができたら、その人と社会は幸せになれるのだろうか?という問いである。

それに対して、著者は独特の視点で疑問を呈する。

科学があらゆる疫病の治療法や効果的なアンチエイジング療法、再生医療を編み出し、人々がいつまでも若くいられるとしたらどうなるか?おそらく即座に、かつてないほどの怒りと不安が蔓延するだろう。

新たな奇跡の治療法を受ける余裕のない人々、つまり人類の大部分は、怒りに我を忘れるだろう。歴史上つねに、貧しい人や迫害された人は、少なくとも死だけは平等だ、金持ちも権力者もみな死ぬのだと考えて、自らを慰めてきた。貧しい者は、自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しいままでいられるという考えには、とうてい納得できないだろう。

だが、新たな医療を受ける余裕のあるごくわずかな人々も、幸せに酔いしれてはいられない。彼らいは、悩みの種がたっぷり生じるだろう。新しい治療法は、生命と若さを保つことを可能にするとはいえ、死体を生き返らせることはできない。愛するものたちと自分は永遠に生きられるけれど、それはトラックに轢かれたり、テロリストの爆弾で木っ端微塵にされたりしない場合に限るのだとしたら、これほど恐ろしいことはないではないか。

非死でいる可能性のある人たちはおそらく、ごくわずかな危険を冒すことさえも避けるようになり、配偶者や子供や親しい友人を失う苦悩は、耐え難いものになるだろう。

同上(下巻)

結局のところ、多くの人間は満足度を相対的にしか考えることができないのかもしれない。

中国を初めて統一した秦の始皇帝が、最後に求めたのは不老不死の霊薬だったという。

始皇帝はその霊薬とされた水銀を飲んでしまったことで、逆に死期を早めたという逸話が残されている。

絶大な権力を誇った始皇帝でさえ、手に入らなかった「不死」を手に入れても、幸福になれないとするなら…

何とも含蓄の深い考察である。

3.文明は人類を幸福にしたのか?

このように、三つの革命を経た人類の歴史を俯瞰していく本書の中で一貫してるのが、サブタイトルにもなっている「人類の幸福」についての考察である。

すなわち、「文明は人類を幸福にしたのか?」という問いである。 

だが、私たちは以前よりも幸せになっただろうか?過去五世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか?無尽蔵のエネルギー資源の発見は、私たちの目の前に、尽きることのない至福への扉を開いたのだろうか?さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか?もしそうでないとすれば、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?

同上(下巻) p.214

壮大な問いかけを、本書は随所で見かけることができる。

様々な観点から、その問いに対しての答えを模索していくのだが、私が最も惹かれたのは以下の箇所である。

幸福が外部の条件とは無関係であるという点については、ブッダも現代の生物学やニューエイジ運動と意見を同じくしていた。とはいえ、ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇望するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった。

同上(下巻) p.239

何万年も前の石器時代から、果ては現代の遺伝子工学による最先端のテクノロジーまでを論じながら、最も重要な「人間の幸福」という箇所に、2,500年前のブッダの叡智が引用されていることに、私は驚きと喜びを覚える。

久しぶりに、一気に読み終える読書体験を与えてくれた本書だった。

同じ著者の「ホモ・デウス」と「21Lessons」も、まだ「積ん読」状態にあるので、引き続き読んでみようと思う。

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