美味しいものを食べた時に、どう表現するか。
いちばん最初に表現する五感の感覚が、その人の最も優れた感覚であることが多い。
その感覚を知ることは、自分を知る一つの手がかりになる。
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先日、会食をしていた際に聞いた話なのだが、美味しいものを食べた時の表現が、何が一番最初に来るのかが、その人の五感の中で鋭敏な感覚を教えてくれる、と。
美味しいものを「味わう」というと、当然ながら「味覚」と密接に結びついているような気がするが、決してそれだけではない。
「いい香り」
「美しい盛り付け」
「この官能的な食感」
「音が食欲をそそる」
「この旨味がたまらない」
…などなど、人は美味しいものを口にすると、さまざまな表現をするように、視覚、嗅覚、聴覚、触覚といった五感すべてを使って味わっている。
その中で、何の感覚を使った表現が一番最初に来るか。
多くの人にとって、美味しものを食べたときの感想や表現というのは、似通っている。
その話をされた方は、「香り」に最も反応するようで、美味しいものを食べた時の表現がいつも「嗅覚」にまつわるものだそうだ。
一緒に食事をしていた別の方は、「味覚」が一番最初の表現に来るそうだった。
私の場合は、どうも「触覚(食感)」らしく、次に「視覚」のようだ。
逆に、「嗅覚」に関する表現というのは、あまり印象にない。
振り返ってみると、それは食事に限らず日常生活全般において同じようで、「風の感触」、「雨の肌触り」、「冬の張りつめた空気」といった「触覚」がいつも気になる。
けれど、「嗅覚」は人よりも鈍いようで、周りの人が「なんか変な匂いがする」と言っていても、「ん?そうかな?」と気づかないことが多い。
それがいいも悪いもなく、ただ自分とはそういう感覚を持った人間なのだ、と知ることだけでいいのだろう。
一つ一つ、自分という存在を知っていくこと。
美味しい料理は、いろんなことを教えてくれる。
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感覚とは自分の力で増やしたり減らしたりできるものでもなく、私たちが生まれ育つ中で与えられたギフトなのだろう。
そしてそれは、定量的な測定が難しいゆえに、自分の感覚と他人の感覚を比較することが困難である。
けれども、もともとそれは比較する必要もなく、ただその人そのものに与えらえた唯一無二のギフトなのだろうと思う。
自分の感覚は、自分だけに与えらえたギフト。
そのギフトを、一つ一つ自覚していくこと。
それは、「自分」を知ることの一つなのかもしれない。
美味しい一皿は星空のように。