大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅5 ~三重県志摩市・伊雑宮 訪問記

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅1 ~三重県伊勢市・外宮(豊受大神宮) 訪問記

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅2 ~内宮・宇治橋の大鳥居から日の出を望む

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅3 ~三重県伊勢市・内宮(皇大神宮)訪問記

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅4 ~三重県志摩市・天の岩戸 訪問記

 

「天の岩戸」を訪れたあと、そこから15分ほど車を走らせて志摩市上之郷にやってきた。

伊勢から志摩をつなぐ32号線を南下していくうちに、遠くに海が見えはじめる。

「古事記」に「島の速贄(しまのはやにえ)」と記載があるそうで、古くから朝廷と神宮の御料を献上してきたとされる志摩の国。

その志摩の国の一之宮とされる伊雑宮(いぞうのみや)を訪れたかった。

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気持ちのいい冬晴れの日になった。

やわらかな陽の光が心地よい。

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ここ上之郷地域の案内看板が。

この伊雑宮の他にも、さまざまな歴史を感じる旧跡地が見える。

天照大御神をこの伊勢の地に導いたといわれる、「倭姫命(やまとひめのみこ)」の名前も見える。

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伊雑宮。
創建は内宮と同じ約2000年前、第十一代垂仁天皇の御代といわれる。

内宮に所属する十の別宮のうちの一つとして、古くから「遙宮(とおのみや)」の名で崇敬を集め、地元の人々によって海の幸、山の幸の豊饒が祈られてきたと聞く。

公式のパンフレットによると、延暦23(804)年に朝廷に提出された「皇大神宮儀式帳」には既に宮名が記載されていることから、少なくともそれ以前から伊勢神宮の別宮として位置づけられていたと考えられているそうだ。

さらに時代が下ると、かの源頼朝公との縁もあるとのこと。

鎌倉時代に編集された『吾妻鏡』には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雜宮に贈ったと記されています。この頃、神領を守るため、伊雜御浦惣検校職(いざわおうらそうけんぎょうしょく)が置かれましたが、室町時代以降は力が衰え、江戸時代初頭、二度の仮殿遷宮は、磯部の郷人の手によって行われました。

伊雑宮パンフレット「ご鎮座の由緒と歴史」より

神話の時代から、鎌倉、室町、江戸と時代を下っていく歴史の大河。

土地と歴史を知ることは、やはり面白い。

その長い歴史の中では、この伊雑宮が内外両宮の本家であるとする主張が起こることがあったそうだ。

中世になると伊雜宮にも御師(おんし)が現れ、明応から慶長(1492~1615)の頃には檀那(特定の寄進者)を持つに至りました。やがて、伊雜宮の神格を高めようと、磯部の御師の間に、内外両宮は伊雜宮の分家であるという主張が生まれます。『日本書紀』にある「磯宮(いそのみや)」、『倭姫命世記』の「伊蘓宮(いそのみや)」などが伊雜宮であるとの説を立てて、神訴に及ぶことが重なりましたが、明暦四年(1658)朝廷からの綸旨・採決によって伊雜宮は内宮の別宮と定められました。

同上

一つ一つの歴史の折りなりが、いまこの歩いている境内を形づくっている。

そう思うと、足元の玉砂利の音が心地よく。 

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参道を歩く。

雄大で、清々しい空気が流れている。

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奥に見える伊雑宮と、その横の古殿池。

伊勢神宮といえば20年に一度の式年遷宮が有名だが、この伊雑宮を含む14か所の別宮も、正宮に殉じて式年遷宮が行われるという。

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見上げれば、一筋の飛行機雲が。

夜明けの内宮は曇っていたが、この伊雑宮に来るころには、雲一つない晴天が広がっていた。

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伊雜宮を望む。

こんなにも、あたり前に「在った」という感覚を受ける。

それは、外宮正宮や宇治橋の日の出で覚えた感覚と、似ていた。

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ただ、目を閉じ、手を合わせる。

この時間を持つために、神社を訪れているのかもしれない。

御祭神は、「天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)」。

光が照り徹ると讃えられる大御神の御魂をお祀りしているという。

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境内の樹木は、先に訪れた外宮・内宮とはまた違った雰囲気で。

清濁併せ呑む、という感じの雄大さを感じる。

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境内の、勾玉池。

他に参拝客もおらず、静かな時間が流れていく。 

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敷地内にある御料田を訪れる。

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毎年6月24日に行われる御田植式は雅な祭事で、「磯部の御神田(おみた)」の名で国の重要無形民俗文化財に指定されている。

また「三大御田植祭」のうちの一つだそうで、あとの二つは千葉県の香取神宮と大阪府の住吉大社だそうだ。

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伊勢神宮の御料田であることを示す石碑。

この田んぼで収穫されたお米が、神宮へ献上されていったのだろう。

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収穫後の田んぼを前にして座り、ただ目を閉じる。

ちょうど陽の光が差して、ぽかぽかと暖かい。

鳥の声、風の音、草々のささやき…そんな声なきものの声を聴きながら、しばしここで座っていた。

志摩の風は、いつまでも優しく私の頬を撫でてくれていた。