今日は冬至。
一年の中で最も昼が短く、太陽の力が最も弱まる時期。
七十二候では「乃東生(なつかれくさしょうず)」、夏になると枯れてしまう靭草(うつぼぐさ)の芽が出る頃。
ほとんどの草木が枯れゆく時期にあって芽を出す、めずらしい植物もある。
冬至は、「陰中の陰」と呼ばれることがある。
次に来る春分が「陰中の陽」、夏至が「陽中の陽」、秋分が「陽中の陰」である。
その季節の変化を、やかんに入れた水の温度の変化をイメージすると、冬至から夏至までの間はずっと温度が上がり続けるが、夏至を越えるとコンロから下したやかんのように、自然に冷めていくイメージだろうか。
そう考えると、夏の方が活動的でエネルギーが高いように思えるが、実はそこに至るまでの過程の方が、エネルギーが高いのではないだろうか。
特に、自然に冷めていって冷え切ったやかんの水を、加熱する瞬間。
その瞬間こそが、「陰中の陰」たる冬至であり、すべてが反転する地点である。
それは、沸騰したやかんの火を止める夏至とは、異なる地点だ。
自転車でもひと漕ぎ目が一番重いように、
やかんをかける火をつけるのが大変なように、
ゼロからイチにすることは、最も偉大な力なのかもしれない。
「陰中の陰」という最も陰の部分が濃い地点から、すべてのものごとが反転するタイミングである、冬至。
それは実は、最もエネルギーが強くなっている時期なのかもしれない。
時に、人生は季節の移ろいに例えられる。
だとするなら、人生において「陰中の陰」のように感じるとき、それは冬至と同じなのかもしれない。
すなわち、逆風、失敗、逆境、不運…
そんなときこそ、最も生命としての輝きを放つ時期なのかもしれない。
目に留まったが、柚子ではなくて金柑か。