Why are you trying so hard to fit in when you were born to stand out?
君は君であるために生まれてきたのに、なぜそんなに一生懸命みんなに合わせようとしているんだい?
映画「ロイヤル・セブンティーン」の中で、17歳の主人公のダフネ・レノルズが語る台詞は、示唆に満ちている。
最後の「stand out」は「目立つ」というほどの意味の熟語だが、これを「君は君であるため」と訳したのは、名訳であるように思う。
「目立つ」も「君は君である」もどちらにしても、生まれもった素晴らしい「自分らしさ」があるのに、周りに合わせようとしてしまう、人の性をたしなめる名台詞である。
=
生きていれば、何がしかの問題が起こる。
突然、勤めていた会社が民事再生法の適用を受ける。
パートナーから突然別れを告げられる。
大病を患う。
子どもが不登校になる。
… … …
様々な形をとって、それらは私たちに「痛み」や「苦しみ」といったものを与えてくる。
その「痛み」や「苦しみ」から逃れるため、私たちはその問題の原因探しに躍起になる。
ちゃんと考えて、会社を選んでいなかったから。
仕事にかまかけて、パートナーと向き合っていなかったから。
不摂生を重ねてきたから。
下の子が生まれてから、あの子の求める愛情を与えられなかったから。
… … …
なんやらかんやら、もっともらしい原因を見つけて、その原因を変えることで、問題を解決しようとする。
言い換えると、現実を、相手を、結果をコントロールしようとする。
今度はよく考えて、安定した大きな会社を選ぼう。
ちゃんと彼女と二人になる時間をつくろう。
身体のことを考えてた生活をしよう。
あの子と向き合って、愛情を注ぐようにしよう。
… … …
こうした取り組みで、結果が出ることは、残念ながらあまりないように思う。
なぜだろうか。
「期待は裏切られる」の格言よろしく、何かをコントロールしようとしてもうまくいかないという論点から説明することもできるが、今日は冒頭の「ロイヤル・セブンティーン」の名台詞から考えてみたい。
すなわち、その取り組みのベクトルが、実は自分らしさから正反対に向いているからかもしれない、と。
=
私もずっと歩んできたステップとしては、こうだ。
①問題が起こる。
②いろんな人の力を借りて、その問題を引き起こした原因を突き止める。
③その原因を、悪いものとして潰そうとする。
原因と因果の関係からすると、当然のステップかもしれない。
PDCAサイクルなんかで、よく使われる思考法だ。
一歩引いてよくよく考えてみると、②の原因が分かったところで、 それがほんとうに問題と因果関係があるかどうか、分かりはしないではないか。
よく考えて選んだ大手の優良企業がなくなることはあるし、
仕事に打ち込む姿に惚れ込む相手もいるかもしれないし、
摂生に摂生を重ねても病気になるときはなるし、
毒親の下で立派に育つ子どももいる。
… … …
自分やその周りの情報という少なすぎるサンプルで、原因と結果を考えても意味がないのかもしれない。
だとしたら、それらしい原因が分かったら、「ああ、私ってそういう人間だったのね」で終わりではないのか。
それにバツをつけて、矯正しようとすること自体が、もう「ロイヤル・セブンティーン」のダフネに怒られてしまうのではないか。
Why are you trying so hard to fit in when you were born to stand out?
君は君であるために生まれてきたのに、なぜそんなに一生懸命みんなに合わせようとしているんだい?
=
もともと、あなたは緩く人生を生きることができる人なのだ。
もともと、あなたは仕事に一生懸命になって生きる人なのだ。
もともと、あなたは太く短く生きる人なのだ。
もともと、あなたは愛情深い人なのだ。
問題は、ただそれを教えてくれるだけのもの。
その原因は、バツをつけるものでも、修正するものでも、矯正するものでもなく。
ただ、そうだったんだな、と受け入れるもの。
もともと、あなたは何にも欠けていない存在だと、気付くだけ。
自分らしさから遠くかけ離れたところを目指した先にあるのは、なんだ、いつものわたしじゃないか、という壮大なオチだ。
問題が起こっても起こらなくても、もともとあなたは「そういう」人なのだ。
それに、「良い」「悪い」の色をつけるから、おかしくなるだけだ。
Why are you trying so hard to fit in when you were born to stand out?
君は君であるために生まれてきたのに、なぜそんなに一生懸命みんなに合わせようとしているんだい?
ダフネの台詞は、かくも示唆に満ちている。
満月は必ず新月に向かって欠けていく。
それから、また満ちていく。
自分を受け入れるプロセスもまた、同じようなものかもしれない。