大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

ただたのめ よろづのつみは ふかくとも

ただたのめ よろづのつみは ふかくとも

わがほんぐわんの あらんかぎりは

 

とは、浄土宗を開いた法然上人が京都の真如堂を訪れた際に、御本尊の阿弥陀物から授けられたとされる歌である。

 

どんなに罪は深くとも、ただ私(阿弥陀仏)に救われたいと願いなさい。

弥陀の本願がある限り、それを信じてひたすらに念仏を称えなさい。

といった意味であろうか。

 

弥陀の本願とは、一切衆生を救うという阿弥陀如来の立てられた誓いのことである。

 

法然上人に学んだ親鸞聖人は、お釈迦さまがこの世に来られたのは、この弥陀の本願を伝えるためだと書いている。

 

如来所以興出世

唯説弥陀本願海

 

正信偈

 

曰く、如来(お釈迦さま)が世に興った所以は、ただ、弥陀の本願を説くためである、と。

 

祖父が生前、毎日仏壇の前で毎日読んでいた「正信偈」を、思い出す。

 

早くに亡くした祖母の遺影に、祈りを捧げていたのだろうか。

 

 

よろずの罪が深くとも、「ただ頼め」と法然上人は仰った。

 

ままならぬこと、思うようにいかぬこと、揺れるこころ、犠牲の罠…諸々あれど、「ただ頼め」、と。

 

それは、ある種の祈りと言えるのかもしれない。

 

法然上人が仰るところの、弥陀の本願を信じること。

 

それは、ただただ、自分を信じることと言えるのかもしれない。

 

阿弥陀さまに、仏さまに、大いなるものに、愛された存在であることを。

 

どんな道であれ、ただただ、自分の生きてきた道を信じること。

 

その道の上で、起こったことを、すべて受け入れること。

 

その道の上で、出会った人たちを信じること。

 

その道の上で、出会ったどんな自分をも信じること。

 

その道の、未だ来ぬ先を信じること。

 

どんな自分ですらも、大いなるものに愛された存在だと知ること、信じること。

 

ただ、手を合わせること。

 

ただ、目を閉じること。

 

ただ、祈ること。

 

ただ、それだけ。

 

されど、それだけ。

 

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