「聞いてくださいよ」
「ああ、どうした、朝から」
「昨日、家からちょっと行ったところにあるパティスリーに行ったんですよ」
「なんだ、似合わないカタカナ使って。要はケーキ屋だろ」
「うるさいです。ちなみにパン屋さんはブーランジェリーです」
「お、おぅ…まあいいや。それはともかく、めずらししくアクティブな休日だな」
「めずらしくって…いちいちうるさいですよ。それより、お目当てはそこのバスチーだったんですけど」
「何だ、バスチーって」
「人に聞く前にググってくださいよ。無駄に人の時間を奪わないように」
「そうか…すまんな…まあケーキ屋で売ってるから甘いもんなんだろ」
「まあ、そうです。で、昼過ぎにお店に着いたんですけど、何とバスチーが最後の1個」
「ほう、すごいな。そんなに人気なのか」
「ツイてる!と思って、喜び勇んで他のケーキと一緒に買ったんですよ」
「よかったじゃないか」
「そしたら、店を出た道路でつまずいて足首を痛めちゃって。今朝になったら、超腫れて痛いんですけど」
「なんだ、ヒールが道路の割れ目にでも刺さったか」
「いえ、ベタ底のスニーカーでしたけど、思わずスキップしてしまったのが敗着かもしれませぬ」
「そうか…何も言えねぇな…」
「いや、何か言ってくださいよ…ほんと、共感力のない男は…」
「うるさいよ。どうやったらそのシチュエーションに共感できるんだよ」
「それで、思ったんですよ。やっぱりいいことが起こると、同じくらいの悪いことが起こるのかなって。やっぱり、いいことも悪いことも半々ってホントなんですかね?もしそうなら、あんまり大きないいこととか、起こらない方がよくないですか?」
「『なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう』だなぁ」
「は?」
「いや、情熱の薔薇…まあ、いいや。どうなんだろうな。確かに昼があれば夜もあるように、バランスってものはありそうだけどなぁ」
「たしかに。宝くじ当たると不幸になるって都市伝説は、そういうところから来てるんですかね」
「どうなんだろうなぁ。でも、いまの話で思うのは、いいことも悪いことも、見方次第で反対になるんじゃないかな」
「ほう。アタシのこの足のズキズキとする痛みが、いいこと、と…なにゆえに」
「いや、たとえばさ、パクチーにしたって」
「バスチーです。香草じゃないです」
「ああ、そのバスチーにしたって、最後の1個が買えたってことは、もしかしたらその後に超絶楽しみにして、お母さんと一緒にやってきた小学生の女の子が買えなかったかもしれない」
「何ですか、その罪悪感を植え付けるようなフリは…」
「いやいや、仮定の話よ。その痛む足のケガにしたって、たとえば病院に行って診てもらうとしたら、その先生なり薬剤師なりの活躍の場をつくってあげるってことじゃん?」
「たしかに、そうですけど…でも、痛いですよ、これ」
「まあ、そうだよな。ただ、痛みやネガティブなことや、感じたくない感情とか…そんなものって、それ自体がいいも悪いもないと思うんだよ。ある意味で」
「ふーん」
「『起こっていることは最善である』『プロセスは完璧』って言葉があるけど」
「何ですか、それ。聞いたことない」
「お、おぅ…いま聞いたってことにしといて…で、それって『いいことや都合がいいことしか起きない』って意味じゃなくて、痛みや売り切れやネガティブなことも含めて、『起こっていることは完璧だよ』ってことなんだと思う」
「へぇ」
「見方を変えれば、いいも悪いもないなら、それにどうこう反応することに、あんまり意味がないような気がする」
「ふーん」
「だから、さっきの質問に答えるなら、『いいことも悪いこともなく、ただ出来事は起きるだけ』ってことになるのかな」
「へぇ、なるほど。ところで『さっきの質問』って何ですか?」
「『いいことも悪いことも半々ってホントなんですかね?』って言ってたじゃねーか!」
「ああ、そうでした。もう興味なくって。それより、この近くでいい整形外科医知りません?」
「ふん、人の話聞いてたのかい?いいも悪いもないわ。整形外科は整形外科だわ」
「えー、でもやっぱりアタシは『イイ』整形外科がいいから、Google先生に聞いてみまーす」