やる気があるから、始められる
のではなくて、
やり始めないと、やる気は出ない
とても逆説的なのだけれど、どうもそれが真実らしい。
だとするなら、
好きなことだから、続けられる
のではなくて、
続けていると、好きになる
という方が真実なのではないだろうか?
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ご依頼頂いた小説を納品してから、無気力な日々が続いていた。
出し切った感なのか、何なのか分からないが、どこか鬱々としてどんよりとしていた。
次の寄稿記事に移るつもりだったが、気付けば1週間ほども経ってしまっていた。
書きたくない時は、無理に書かないのが吉、と思って放置していたが、ふと「この記事にこのフレーズ入れたいな」と頭に浮かんだ。
それでも、やはり一文字目を書き始めるまでが苦行で。
そうすると、動けない自分を責めたくなるという悪循環が始まる。
あぁ、そんな自分責めは要らないなと思い、「書きたくなるフレーズが浮かんだだけでヨシとしよう」と言い聞かせることにした。
やりたくても、身体が疲れている時もある。
あとは日にち薬で。
それが満ちると、後は早い。
ようやく真っ白い画面に一文字を打ち込み、記事を起稿することができた。
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やる気を生みだす場所は、脳の側坐核と呼ばれる部位にあり、そこの神経活動が活発になると、やる気といわれるものが生み出されるらしい。
その神経活動を活発にするためには、刺激を与えることが必要らしい。
つまり、手を動かす、身体を動かすなりして、脳に何がしかの刺激を与えることが、やる気を生みだすコツのようだ。
やる気が出ないから、取り組めない
のではなく、その逆で
やり始めるから、やる気が出る
ということらしい。
かくも、世の中の仕組みはパラドックスに満ちていて、面白いものだ。
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さて、この話を拡大すると、
好きなことだから、やれる、続けられる
のではななくて、その逆で
続けていると、好きになる
というパラドックスもまた、真実なのではないだろうか。
そうなると、そもそも論としての「それが、やりたいことなのかどうか?」という問いは、どうなのだろうか?
ここでブログを書き始めたとき、息子に教えられながら、そんな質問を自分に問いかけていたのを思い出す。
「あなたの好きなこと、なあに?
それ、本気でやりたいの?」
その答えは、何かを始める前には分からないのかもしれなくて。
それをやってみて、初めて見つかるものなのかもしれない。
続かなければ、実は好きではなかった、あるいは自分には合わなかった、というだけの話で。
そもそも、人が認識するものには、無意識のフィルターがかかっている。
何かをやってみようと、少しでも思ったものは、すべて自分が選んでいるものだと言える。
だから、好きかどうかとか難しく考えずに、とりあえずやってみる、くらいの感覚がいいのだろうな。
そんな軽さを持てるようにしたい。
赤、青、緑、白。蝶々はいつも軽やかに。