「マインドフルネス」という言葉が市民権を得て久しい。
多くは瞑想のメソッドとして捉えられており、「いまこの瞬間に意識を向けること」、そして「その瞬間に起こることを評価・判断せず、ただ観ること」が肝要だと言われる。
不安になったりするとき、私たちの心は、いまここにいない。
過去の出来事を悔やみ、未来を思い悩むことから苦悩は始まる。
また、何かを「よい/わるい」、「優れている/劣っている」、あるいは「正しい/間違っている」等といった評価・判断することで、執着は生まれ心は窮屈になる。
いまここに居て、そのままの事物を観る。
それこそが、心の平安をもたらす。
マインドフル(mind-full)であるということは、そういうことなのかもしれない。
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その感覚は、マインドフルネス瞑想という言葉のとおり、座って目を閉じる瞑想をすると得やすい。
そうした静寂の時間が心にもたらす恩恵を、私も実感している。
けれど、それはただ瞑想の時間だけではないのかもしれない。
日常の中で、「いま、自分がしていること」に十分に自覚的であること。
一つの呼吸を、一回の食事を、一瞬の風景を、存分に味わうということ。
それこそが、マインドフルであるということなのかもしれない。
そう考えると、歩くことも、食事も、話すことも、書くことも、ランニングも、すべて瞑想の一部なのだと思う。
当たり前だと思って見慣れた風景、
日々顔を合わせる人、
いつも何気なく使う言葉、
毎日口にする食事の中にこそ、
神は宿る。
おおきなぶりのかま。
無言になって箸を突いている時間は、マインドフルなのかもしれない。
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