大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

毎日変わるなかで、同じ物語を紡ぐという難しさ。

目下、執筆中の小説も、20,000字を超えた。

ようやく少しずつ、これまでよりも長い物語を書くという作業に慣れてきた。

それとともに痛感するのは、毎日変化のある中で、同じテンションで書くことの難しさだ。

毎日天気も違えば、季節もめぐっていく。

もちろん私自身の体調も違えば、感じている感情も異なる。

心地よく過ごしている日もあれば、無性に腹が立つ日もあれば、なんだか物悲しい日もある。

そんな中で、毎日同じ作品と向き合うことの難しさ。

そして、いったん原稿から離れてしまうと、場面や情景や、つながり、人物の心境などを思い出し、入り込むのに時間がかかる。

毎回、校正がてら頭から読み返しながら、内容を思い出しながら、少し手直しを入れながら…という工程が入る。

これが曲者で、結構時間を食う。

ようやく新しい部分を書きはじめると、あっという間に夜更かしになってしまうというのが、いまの課題だ。

要は、エンジンを温めるのに時間がかかるようなのだ。

どうしたものか、悩ましい。

やはり、何でも初めて見ないと何が難しいのか、問題なのか、分からないものだ。

これは、誰でもそうなのだろうか。

たとえば、絵を描く画家の人は、一日のわざを成し終えてキャンバスの前から離れて、また翌日そのキャンバスの前に立ったとき、テンションの違いをどう克服するのだろうか。

絵を描いている人やイラストレーターの方にお会いしたら、聞いてみたい。

場所を移してカンヅメになって書くという解決策も考えられるが、それは対症療法的のような気もする。

そういった方法論ではなくて、結局のところ、24時間の中で、どれだけ作品のことを考えられるのか、という本質的な問いのような気がする。

昔読んだ麻雀漫画の中の台詞で、「プロとアマの違いは、技術ではなく生活態度である」という言葉があった(確か、かわぐちかいじさんの漫画だったように思う)が、ふとそれを思い出す。

どれだけの時間とエネルギーを捧げられるか。

もちろん、どれだけ捧げたところで、クオリティの高い作品が書けるなんて保証は、何もないのだが。

作品の質と努力した時間は、必ずしも比例しない。

当たり前の話だ。

それでも、捧げることが、できるかどうか。

諦めずに、淡々と、できることを、今日のわざを、積み重ねることが、できるかどうか。

結局のところ、問われているのはそこのような気がする。

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このブタさんは、雨の日も風もの日も同じ顔で笑ってる。見習いたい。