大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

問題とは、思っていた方法では解決しないもの。 ~手塚治虫「ブラック・ジャック」より『山猫少年』に寄せて

手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」は、「火の鳥」とともに小さい頃に私が熱中した漫画である。

 

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この「ブラック・ジャック」が、私を魅力的な漫画の世界へと誘ってくれた。

 

一時期、ブラック・ジャックに憧れて医者になることを夢見たが、医学部が理系であることに絶望して早々に諦めたのは黒歴史である。

 

読み返してみると、時代を反映した暴力や差別といった、現代では問題になりそうな表現もゴロゴロ出てくるが、それでもこの名作は「命とは何か」、「人を救うとは」といった普遍的な問いを、読む者に訴えかける力を持っている。

 

時の流れに耐えうるというのは、名作のみが持ちうる資質なのだろう。

 

今日は私が好きなエピソードに寄せて、いかに手塚治虫先生が人間という存在を深く、普遍的な視点で見ていたのかということについて綴ってみたい。

 

ネタバレになってしまうが、ハムレットのネタバレを誰も気にしないように、これだけの名作だけに許されるのではないかと思う。

 

 

「山猫少年」

(秋田文庫「ブラック・ジャック 12巻」収録)

 

無免許だが卓越した技術を持つ外科医であるブラック・ジャックは、未開の辺鄙な村で再開したトリュフォー先生から「小頭症」の少年の治療依頼を受ける。

 

「小頭症」とは異常に頭蓋骨が小さく、知能に障害を受ける病だが、その少年は十年前の洪水で生き埋めになったらしく、その際に頭部が変形したという後天的なものだっとトリュフォー先生は言う。

 

そして知能が発達しないまま、山猫に育てられていたところを保護した、と。

 

トリュフォー先生は、この少年をなんとか救い、のちの医学のために役立てたいと考え、そのためにブラック・ジャックに力を貸してほしいと言う。

 

ブラック・ジャックはこの無報酬の仕事を引き受け、陥没した頭蓋を人工頭蓋に置き換える手術を、オプーと呼ばれているその少年に施す。

 

すると、これまで山猫同然に檻の中でしか生活できなかったオプーは、日を追うごとに知能が発達していき、言葉を話しはじめ、絵を描いたりするなどしていく。

 

しかし、同時にオプーは山を寂しそうに眺めて、育ての親と思わしき猫の絵を描くなどして、人間から生まれたということを教えようとするトリュフォー先生に対して激しく癇癪を起こすなどする。

 

そんなある夜、ブラック・ジャックは、盗んだ猟銃を持ったオプーに、車に乗って山道を行くように脅される。

 

オプーが遠吠えをすると、山猫の子どもが二匹あらわれ、オプーと再会を喜ぶとともに、ブラック・ジャックを巣穴に連れ込む。

 

巣穴にいたのは、オプーの育ての母猫で、猟銃に撃たれた傷がもとで寝込んでいた。

 

オプーに手術するように脅されたブラック・ジャックは、母猫を開腹手術して猟銃の弾丸を取り出す。

 

手術は無事に終わり、ブラック・ジャックは一緒に帰るようにオプーに促すが、オプーはそれを拒否する。

 

山猫はおまえのママじゃない、と諭すブラック・ジャックだが、オプーは「オプー 人間ない!!人間きらい オプー ここにいる 好き」と泣きながらに訴える。

 

「わかったよ」と言い残し、巣穴を去ろうとするブラック・ジャックに、オプーは申し訳なさそうに「先生…… これ……」と二匹の魚を差し出す。

 

魚を持って帰ってきたブラック・ジャックに対して、

「山へおっぽり出して?じゃあまるっきりいままでのことムダ骨じゃないかね…!」と驚くトリュフォー先生に対して、

「しかしちゃんと報酬はもらいましたぜ」と魚を見せるブラック・ジャック

 

調理された魚料理が並ぶテーブルを挟んで、

「山わけしましょう 先生」とナイフとフォークを持ちながら言うブラック・ジャック

「……」と、同じくナイフとフォークを持ちながら考え込んでいるトリュフォー先生。

 

なんとも深いラストシーンである。

 

 

名作というのは、さまざまな解釈を許してくれる。

 

このストーリーを、「問題の解決」という視点で見てみると面白い。

 

問題とは、それを認識したときに考えた方法では解決しないものだ。

 

「山猫に育てられたかわいそうな少年(オプー)」という、トリュフォー先生の問題意識。

 

ブラック・ジャックという他者の力を借りて、少頭症という病を治し、少年に知能を取り戻させることに成功した。

 

しかし、少年はトリュフォー先生と同じ人間の暮らしを望んでいたのではなく、山に残してきた母猫の怪我を治し、一緒に暮らすことを望んでいた。

 

それはトリュフォー先生が望んだ方法での、問題解決ではなかったかもしれない。

 

それでも、その結果に誰かが何か言えようか。

 

さらに、「美味しい魚」という、想像していなかった恩恵がついてきた…

 

お金、人間関係、パートナシップ、仕事…生きていく中で人はさまざまな問題を抱える。

 

その問題を認識した時点で、何がしかの解決方法を考える。

 

「もっと〇〇できたらいいのに」

「あの人が〇〇してくれたら」

「〇〇になったら解決するのに」…などなど。

 

けれども、そうした願望込みの解決方法では、問題は解決しないことがほとんどである。

 

その時点では想像だにしなかった方法でしか、問題は解決しない。

 

「この会社を辞めるか、続けるか」、「この人と別れるか、続けるか」…というような選択肢は、どちらを選んでも同じであることが多いように。

 

その選択肢の範疇の外に、問題の解決方法はあるのかもしれない。

 

そして、ときにそれは「魚料理」のように思わぬ恩恵を連れてくるようだ。

 

「山猫少年」を読んで思うのは、そんな問題の見方である。

 

そんなふうに、手塚先生がこのストーリーを考えた時に、どんなことを伝えたかったのかを考えながら読むのも、また楽しい。

 

何歳になっても、「ブラック・ジャック」は新しい発見がある。

 

やはり、私のバイブルのようだ。

 

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