大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

アタマは何もしていない時にこそ、はたらく。

アタマは何もしていない時にこそ、はらたく。

考えようと思えば思うほど、

思考は単なる作業になり、堂々巡りになる。 

何もしない「空き地」のような時間を持つこと。

その時間は、いろんな情報を勝手に整理してくれる。

その時間は、いまの自分に必要なものを、

気づきやインスピレーションという形で降ろしてくれる。 

リラックスして、呼吸を深くして、揺蕩っていること。

何かを「しよう」としないこと。

それはすなわち、何かを「コントロールしよう」としないこと。

滔々と流れる川の流れを、せき止めようとしないこと。

小川が集まり大河となり、海を成し、そして雲となり雨となるように。

放っておけば、やがて落ち着くところに落ち着く。

流れに、抗おうとしないこと。

ただ、力を抜いていれば、身体は勝手に浮いていく。

肩の力が抜ければ、自然に身体は動いていく。

次々に落ちてくるボールをジャグリングしている状態で、

今日の晩御飯のことを考えることはできない。

いや、熟練のピエロならできるのかもしれないが。

たいせつなのは、ジャグリングじゃない。

ボールを落とさないか、じゃない。

いかにして、今晩の美味しいご飯にありつくか、なのだ。

「ためにする」何か、はたいていウソだ。

たわわになった果実を収穫する怖さからくる、嘘だ。

大丈夫。その果実は収穫しても、またいくらでも実る。

いつまでもその果実を収穫しないでいると、

いつしか草むしりこそ我が人生の目的だと勘違いしてしまう。

たいせつなのは、ジャグリングじゃない。草むしりじゃない。

いや、もちろんそれもまた違った意味で、たいせつなんだろうけれど。

きっと、たいせつなのは、今日の晩御飯であり、瑞々しい果実なんだ。

アタマは何もしていない時にこそ、はたらく。

余白をつくり、何かをしようとしないこと。

ただ、流れる川の水面や、見上げた空の美しさを眺めていること。

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