さて、昨年の11月頭から断酒して、10か月が過ぎた。
これといって体調面に変化はないのだが、その変化がないことを記しておくのも、また大切な記録になるかと思う。
淡々と、飲まない生活が続いており、甘いものへの欲は安定傾向にあるのか、仕事の合間に甘いものをつまむこともあれば、入った喫茶店やカフェで甘いものを頼むこともある。
甘いもの、という選択肢を新たに得たような感がある。
=
逆説的ではあるのだが、お酒を飲んでいたことで、断酒の価値が分かるような気がする。
お酒の愉悦、楽しさ、素晴らしさ、そして二日酔いの辛さなど…お酒にまつわる諸々を経験したうえで、断酒をしてよかったと思う。
親になって初めて、子どものころに親が言っていたことが理解できることがあるように、両方の立場を経験しないと、分からないことがある。
その両の極というのは、その人の人生の厚みである。
そして、もしそれを経験せずに「ありえない」「絶対にまちがっている」「それはおかしい」と感じることが、目に映ることがあるならば、それはその人の人生がまだ厚みを増すことができる、という証左なのかもしれない。
お酒を飲む人が、下戸や断酒している人に「お酒を飲まないなんて、人生の半分を損している」と思うように、
下戸や断酒している人が、お酒を飲む人に「断酒しないなんて、人生の半分を損している」と思うかもしれない。
それは、どちらも正しい。
そして、誰もがそのどちらを選んでも、いい。
それはお酒に限らず、人生の他のいろんな選択で言えることでもある。
=
両の極は、人生の厚み。
不本意ながら、極の極に追いやられることもあるかもしれない。
大好きだった彼女にフラれてしまうなり、
大切な人と別れることになったり、
ときに大きな失敗で痛い目を見るかもしれないし、
思うようにならぬ身体の不調に悩むかもしれない。
長い人、苦虫を噛み潰す時間もあるかもしれない。
されど、経験は決して裏切らない。
それは、フルボディの重厚な赤ワインのように、年月を経るごとに熟成され、何ものにも変え難い味わいを形成していく。
両の極は、その人の人生の厚み。
その極が多ければ多いほど、多面体のクリスタルのように輝きを放っていく。